北米改革長老教会
2005.1.4
教会の父達であり兄弟達である皆さん
2004年度大会は教会政治指針の中のいくつかの変更を採択し、その
合意に従い各教会の小会に対し、憲法改正提案が送付されることになりました。
次のような動議がなされ、採択されました。
前出のレポートにある可決されたDCGの変更点は一つのユニットとし投票される べき提案として送付されるべきであり、大会書記はその提案に委員会
レポートを共に送付するように指示される。 投票用紙と返信封筒及び同封の大会提案レポートのコピーを確認してください。(投票用紙封筒に他の書簡を入れ
ないように。大会出席長老証明書は別に送らなければならない。)
提案に投票する前に、最低10日間勉強できるようにレポートを長老に配布してください。一会員として投票するための提案に三つの部分があるけれども、三回
ではなくて一回のみの投票となります。
投票用紙のどちらの部分にも記入することを覚えていて下さい。
- 提案に投票する長老の人数
- 一会員として会議に投票する
(一つ以上の会議に奉仕している長老でも一つの会議にのみ投票が許されています)
各会議は2005年度教会会議の議長が提案を検討するための委員会を任命する前に、記入済み投票用紙を送り返すことを要求する。
会衆役員に関する委員会レポート
教会の父達、兄弟達
グレートレイクス・ガルフ中会は、全会員会議が小会によって運営されることを要求する教会政治指針(以下DCG)改正を求める、「会衆役員」に関するペー
パーを、2001年度大会に提出した。この提案は、会衆が年次会員会議を導くために、必ずしも、または通例としてでさえあることとして、長老、執事でない
役員を選出するという、今まであった習慣を無効にすることとなる。(2001年度大会議事録P274-290)
- 委員会が任命され(2001年度大会議事録p183,185)て、2002年度大会に報告の義務を果たした。この報告はDCGを
変更しないことを勧告した。しかし、小会もしくは選出された役員のいずれが年次会員会議を運営するかということについては、各個教会の判断にゆだねること
が提案された。これは、2/3以上の賛成を集められなかった。そこで大会は、このことを再検討して2003年度大会に報告する、新しい委員会を任命した。
- この第二委員会は、2003年度にその提案を提出した。最初の二つの提案が、2/3以上の賛成に至らず却下された後、そのレポー
トは委員会に再付託され、2004年度大会に再提出されることとなった。委員会はその際、二名の追加人員を要求し認められた。(2003年度大会議事録
p.53,87) 少数派レポート(2003年度大会議事録p.198-204)を提出していた始めからの委員の一人が辞任した。
- 増員され第二委員会は、もともとの責任範囲‐2001年度のグレートレイクス・ガルフ中会の書類に対する返答の責任に応じ、ここ
に、その意見、決定、そして提案を提出する。
【Ⅰ】付託案件
我々の元々の責任は、グレートレイクス・ガルフ中会のペーパーを評価
することであった。このペーパーはDCGのなかにある、年一度の会員会議の一つの役割が、「聖書的役員である長老・執事と明確に区別された「会衆役員」の
選出である」とされていることについて、見解を述べている。これらの役員は、「議長、副議長、書記、会計」と定められており、そして限定条件としては、た
だ、会計が執事会によって選出される可能性と、そして会衆役員が小会の監督下にあるという事が言われているだけである。この会衆役員は、会員会議の運営に
関係するものと特定されている。牧師、長老、執事の選出のための会員会議は、小会によって直接運営される。我々の教会のこの規則のルーツが何であれ、これ
は1945年に我々の教会の規定にくみこまれた。スコットランド改革長老教会を唯一の例外として、このような規定は長老主義を取るほかの姉妹教会には見い
だされない。通常の長老主義は、会衆の会員会議のすべては、小会によって直接運営すべきものとしている。
GL-G中会は以下のように論じた。
- 聖書的役員(長老や執事)は、会衆の職務運営のために「十分」足りている。
- 聖書的役員と共に「不適切な役員が共存していることは、教会に多大な害」をもたらす可能性がある。これは、事実上、長老主義と会
衆主義という2つの教会形態を混合している。
- これは「教会の中における民主主義的支配という非聖書的考え方」を推奨する。
- これは長老職への信頼をむしばむ傾向を生む。
- これは、事実上「会員会議が決議法廷であって、長老たちがそれに対して報告責任を負うものである」とするもので、 「羊」
と「羊飼い」との役割を逆転させるものである。
GL-G中会の中心的論点は、会員会議を進行するために長老以外に会
衆役員を選出するという習慣は、聖書的教会のポリシーにそぐわないというものである。聖書は、教会統治の行為のために、正統に任職された長老以外、示して
いない。長老たちの監督の「ある、なし」にかかわらず、長老以外の委員によって運営される会衆の会議というのは、聖書に前例がない。
GL-G中会は、聖書が明白に示しているのは、任職されたリーダーが、確実に、また、直接的に、会衆の会員会議のすべての運営を導くべきだということであ
る。
【Ⅱ】応答
- 聖書と我々の教会の従属的教理基準は、教えること、治めること、憐れみのわざが、それぞれ与えられているのは、長老(教える・治
める)と執事という役員たちにであることを教えている。これらのみが、イエス・キリストの教会における、恒久的な役員である。私達は、聖書的な役員たち
で、「会衆の職務運営」のためには「十分」であるという、GL-G中会の主張に同意見である。また、それ以上に、これらの問題において直接的に会衆を先導
することは、これら役員たちの積極的な聖書的職務であること、そのようにして指導されることは、そのもとにある神の民たちの聖書的特権であること、そし
て、このことは、教会を健全に機能するように養い育てるためにデザインされた、神さまからの祝福であると見なされるべきであること、以上の三点をも、この
際、指摘したい。
- 聖書には、長老が二次的な、または、一時的な「役員」の階級に運営を委任するという前例がない。おそらくこれをもって、GL-G
中会のように、会衆主義的なポリシーの侵入とか、長老たちと会衆との役割の逆転をくつがえすものということは、誇張しすぎであろう。ただ確かなことは、現
在の習慣が長老主義の聖書的に意味されるところを反映していないということである。以上のゆえに、私たちは、教会の規定と実際において、この点の訂正が必
要であることに、同意する。
- 昨年の少数派レポートにおいて、そして大会議場の討論において、いくつかの議論が「現状維持」の弁明のためになされた。私たち
は、新しい提案にいたる前に、それに対しても若干応答しておくべきだと考えた。
- 会衆の参加の考えが、任職されていない役員達が会員会議を運営することを正当化するために引かれたが、その議論には2つのレ
ベルがある。
1つは、万人祭司という聖書的教理が、任職された長老が会議を実際に導くことを期待されているとする考え方が、どこか誤りがあるとする方向での議論があっ
た。万人祭司は、もちろん、ローマ・カトリック主義のような司祭階級による仲介の必要性なしに、唯一の仲介者であるキリストとの結合を通して神に対して信
者が近づきうるという、直接性を表明しているものである。聖書的な長老による牧会の実践においては、聖書、長老主義の教理、実践のどこにも、司祭仲介との
接点は皆無である。長老がある特定の文脈において、「指導する」という事実は、彼が傲慢にも彼によって指導される人々の霊的権利を奪う司祭的役割を不当に
要求するといううことを、意味しない。
2つめは、現在の習慣が、誰にでも開かれている奉仕の機会をもたらしている、という方向の議論である。実際そうであるが、しかし、実際は、四つの会衆役員
のうち、唯一つ(会計)だけが、実質的な奉仕の慮域を提供するものだ。それは、会衆の交わりの中でもっとも必要である奉仕の一つであることに間違いない。
しかし年一回の会員会議の単なる進行役をほかに変更することが、諸奉仕のためよく整えられた教会員から奉仕の機会を奪うことになると見ることは、実際はむ
ずかしいのではないか。この提案で廃止されることになる三つの職務(議長、副議長、書記)は、年一回の会議だけのものか、または、議長の代理をするために
ただ待っている不活動のものかである。私達は、教会において一年を通して、よりその奉仕に名乗り出るのが難しい仕事がやまほど教会員の奉仕を待っているの
を知っている。論議の主要ポイントは、任職された役員に年次会員会議の運営を委ねることは、教会の誰の有用性の損なうものではないのであって、教会員は年
に一晩だけの会議を進行させるよりは、もっと実質的で重要な仕事を求めるべきものなのではないかということである。
- これに関連することとして、この習慣の変更が、教会員の賜物の働きを制限するという議論がある。これは注意深く検討すると、
表面上明らかであるよりも、
ずっと重要であるといえる。すでに触れたように、会計の職は、この変更でまったく影響されない。その他の仕事は、会議を取り仕切る能力と、議事録をとる適
正を要求するものだ。確かにある技術がここで必要とされるが、私たちは穏やかに次のことを指摘せねばならない。すなわち、クリスチャンが教会の中で「賜
物」について話すときは、聖書的種類を考慮するべきであり、パウロがローマ12:3以下で示すように、また聖霊の満たしの項で、ガラテヤ5:16-26で
定義しているように言わなければならない。幸いでない会衆会議の逸話の数々は、むしろ、このような種類の賜物や能力がもっと生かされることによって、きわ
めて違った結果となるのではないか。
- 「自然の光」と「クリスチャンの賢明さ」が、年一度の会員会議の運営のための会衆役員選出の土台とされる。ウエストミンス
ター信仰告白1:6は、確かに、
教会政治等について、自然の光とクリスチャンの賢明さによってえられる、人間の行動や社会に共通し、絶えず守られるべきみ言葉の一般的通則にもとづくべき
事柄がある、と教えている。会衆会議自体がこのカテゴリーで考えるべき事柄なので、会衆役員もそのカテゴリーで考えていいのではないか、と言う議論であ
る。しかし、会員会議自体は、確かにここで言う「自然の光」のカテゴリーから導入されていることだが、そのリーダーシップはそうではないのだ。年次会員会
議を求める考えは明らかに「状況」からのものだが、誰がそれを導くかは、もっとも自然には聖書自体の長老職答えられるべき問いだからだ。
- GL-G中会のペーパーが、執事の役割に関して、ある変更をDCG5:2-3に加えることを提案していることを、留意したい。そ
れは、予算の決定や、予算に含まれない多額の支出の決定に関する、執事の小会や会衆との関係についてである。私たちは、この点は、GL-G中会にとっても
当委員会にとっても、核となる事柄ではないと認識する。したがって結論として、GL-G中会の提案#5#6に関しては、私たちの提案とはしない。
私たちは、委員会として、大会がDCGへの以下の変更を採択するように提案する。その採択にもとずき、各会衆はそれらのことを実行するために、文書でまた
心構えで、必要な実際のステップを踏むこととなる。
【Ⅲ】提案
- 提案#1,DCG2:11(会衆について)の次の部分を改正する。
改正後:
一つの会衆(各個教会)はさまざまな特定の責任を持ちます。その中に含まれることとして、教える長老と治める長老と 執事を選ぶこと。会衆としての仕事を
決定し処理すること、...
改正点:
「会衆役員を選ぶこと」を削除し、「教える長老と治める長老と執事を選ぶこと」と変更する。
解説:
会衆(各個教会)はすでに、DCG2:1において、「会衆を監督する長老の会議と、主に慈善と奉仕の務めに責任ある執事会をもつ、信徒の群れ」と定義さ
れている。この定義と一貫するために、選ばれるべき「役員」も、聖書的役員の用語によって 適切に定義されるべきである。-このことゆえに、提案される改
正箇所はその意義を有する。 私たちは、会衆がその小会からのレポートを要求することができないというGL-G中会の改正提案の部分は支持できない。 会
衆はその定義からして、長老たちに導かれる「体」として、その牧師・長老・執事、またそのあらゆる部分からの報告を求める ことは、自身の体としての営み
のために適切だからである。
- 提案#2 DCG2:12(会員会議)の次の部分を改正する。
改正後:
12,会衆の年一回の会員会議は、諸報告を聞き、議事を決定するために、小会によって召集され、運営される。臨時会員会議は、小会自身の決断、または、執
事会からの文書による願い、または会衆複数のメンバーによる請願を受けて小会が召集する。
改正点:
「開催される」が「小会によって召集され、運営される」に変更され、また、開催目的から「会衆役員を選び」が削除された。「会衆(各個教会)としての請
願」が「会衆の複数のメンバーによる請願」に変更された。
解説:
- これは、小会の手に、すべての会衆会員会議の召集と運営を、帰するためである。
- この原則を補強するために、二つ目の改正箇所は、会衆の複数のメンバーはいつでも会員会議の開催を小会に請願できるとし
た。
- 提案#3,DCG2:13(会員会議の運営)の次の部分を改正する。
改正後:
13,小会が、会員会議を、教会会議の一般的原則を準用して、運営する。小会書記は、会衆会員会議記録に、経過と決定をすべて記録する。....教える長
老・治める長老・執事の選挙のための会員会議は、小会の正式に構成された会議の中で、小会の監督のもとになされねばならず、その議長は、小会議長が務め
る。
改正点:
会衆役員の選出過程についてのすべてが削除された。会議の書記が、小会書記とされた。牧師の報酬や教会との関係についての 議の際には、牧師は自主的に退
席するか、会衆が退席を望むことができるという項目が、削除された。
解説:
- 会衆の年一回会員会議は長老によって運営されるべきだ。これは、会衆全体としての信者すべてが前年の伝道を評価し、翌年
のために霊的調子を整えるため
に集まる、毎年の重要な行事である。それは確かに聖書的役員たちが福音の契約における彼らの責任を働かせる機会である。牧師、長老、執事それぞれの働き、
また全ての会衆の仕事が、ここに集約するのはこの点なのである。互いへの、また、願わくば調和の取れた、主への報告義務を、一つとなって果たすときなので
ある。
- 私たちは、牧師が終始出席する自由があるべきだと信じるだけでなく、会衆のための「羊飼いなる方の下の羊飼い」として、
彼が出席することは会衆の願い
であるべきであり、会員会議が、事実上「牧師の背後で」彼の人柄や状況を話す機会となってはならないと信じる。財政上の問題は確かに取り扱いの難しい問題
である。しかし、牧師が聞いているところで公に言われ得ないようなことは、本来いうべきではないことではないか。会衆との関係を考慮するいくつかの問題
は、マタイ18:15-20の原則にしたがってのみ取り扱われるべきである。つまり、そのような話は、明らかに、公的な話の場で始められてはならない。通
常、牧師やその家族は、教会の他の教会員と同様に、普通に出席を期待されねばならない
牧師の会員会議からの除外を求める正しい根拠はない。もし、牧師自身が、自分自身の理由のために会員会議の一部を欠席することを望む場合は、教会会議
の一般の原則に従って、許可が与えられなければならない。
- 提案#4,これをもって当委員会を解散せしめる。
敬意を持って大会に提出いたします。
JOHN D. EDGAR
AARON M.GOERNER
VINCENT J.SCAVO
GORDON J.KEDDIE, 委員長
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