公的礼拝[]における詩篇による賛美

                              瀧浦 滋

 

 

I.公的礼拝で詩篇のみを賛美することについての積極的な根拠[]

 

1)旧約聖書詩篇の讃美の正典としての成立と近年の研究の傾向

(1)キリスト教会の公的礼拝での詩篇讃美の正当性を論ずるには、まず、「詩篇は讃美の正典である。」 という論題が証明されなければならない。旧約聖書の時代における神殿礼拝のための讃美集としての詩篇の聖書正典形成こそが、のちのキリスト教会における公的礼拝(毎安息日ごとに守られる、キリストにあって選ばれ召された者たちが、神の民として恵みの契約に応答して集う、礼拝)の「讃美集」として、神様が「詩篇」をお与えになった事実の出発点である。したがって、まず、旧約聖書における詩篇の正典としての成立過程が検証されねばならない。この論議は、「詩篇讃美の正典論的論証」と呼ばれる。ここでは、従来よりも踏みこんだ形で、まず、詩篇の「正典」であることの意味を突き詰めることから、詩篇讃美が神の定めたもう礼拝讃美であることを、明らかにしたいと思う。

(2)旧約聖書の「詩篇」の正典としての形成は、詩篇そのものの内容と構造からして、明らかに神殿礼拝の賛美を目的としていたことは、異論の余地がない。しかし、実際に詩篇がどのような文書として神殿礼拝のために与えられているのかについては、近年の研究のなかで、大きな混乱がある。そこに、正典としての詩篇の目的と性格があいまいとされている一つの原因が潜んでいる。

詩篇と言う書の成り立ちについては、一世紀近くにわたって、聖書を一方的に批評的理性によってのみ見るものたちによって、ほとんど統一性とか詩篇の文書としての意味が省みられなかった研究の歴史がある。ただ、「ヨシヤの統一聖所」(ベルハウゼン)以降のさまざまな時代の神殿礼拝を反映する雑多なアンソロジーとされ、いわばその地層または年輪が不完全に現れているのが、現在の詩篇の姿だと片付けられてきたきらいがある。たとえば、マソラ本文に区別なく存在している各詩篇の表題の価値を否定し、一方的に無視する傾向は、そのような姿勢の現れの一つである[]。今でも詩篇に関する注解や研究書の多くにそのようないわば詩篇の構造について文学的に思考することをあきらめた、または、積極的に否定する立場の根深い影響を見る。

戦後になって、いわゆる宗教史学派の影響や北欧の学派の影響の下で、詩篇を王の即位式(たとえばモービンケル)または契約更新の儀式(たとえばバイザー)と神殿礼拝(たとえばヴェスターマン)との連関の中で捉えるようになってきたのは、少なくとも詩篇のテーマである「王権」と「契約」そして「神殿礼拝」(これらは、歴代志のテーマでもあり、捕囚後の旧約聖書正典結集を理解する鍵でもあると思う。)を浮き彫りにした点では、功績があるとせねばならないだろう。たとえば、「王権」の強調について例を挙げれば、この研究の流れの中で、クリストフ・バルトは、正直に「詩篇は非常に限られた意味でだけ、「文学」と理解することが許される。」[]と書いた上でだが、詩篇がダビデをこのようにまで重視している理由は、単に彼が多くの詩篇の作者であったことから来るのではなく(確かにⅡ歴代志2930で、ヒゼキヤ王がダビデの詩篇を神殿で歌うように命じた旨書いてあるように、ダビデは詩篇歌集の主たるソースだが)、ダビデが「詩篇の王」になったのは、「神の僕にしてイスラエルの「王」であるダビデの際立った位置からであった」と、断じた[]。(Ⅱサムエル7章:ダビデ契約) また、「契約」と詩篇の関連では、ラスシャムラなどから出たカナンの詩文書と詩篇を比較して、いかに他の詩文書との類似性が示されるにせよ、旧約聖書のすべての詩歌には基本的な宗教的ユニークさが与えられており、それは、イスラエルの「契約」的有神論の刻印が生んでいるユニークさなのだ、とF. F. ブルースは述べている[]。 このように、詩篇の中心的主題についてより明確な認識が広まってきたことは前進であるが、依然として詩篇の一つの文書としての統一性やそれに基づく文学的構造などを確信を持って論ずる風潮は、近年まで見られなかった。

ところが1985年以降15年ほどの間に、世界の詩篇研究に大きな変化が現れている。それは、詩篇を一つの文書であると考え、詩篇の文学的神学的構造を踏まえた主題と文脈の文学的研究が詩篇の理解にとって不可欠のものと見るように、変わってきたことである。最近のこのような詩篇研究における変化を良くまとめているのは、デイビッド・M・ハワードの論文であり、彼は「20世紀末の詩篇研究は1970年代の研究と大変違ったものになっている。」といって、その違いを「聖書研究におけるパラダイム・シフトだ」と呼ぶ。

聖書のテキストが文学的完結体として捕らえられるようになり、全体として正典的である存在として受け止めて研究がなされるようになってきた。それは、詩篇研究では特に顕著な影響を表し、詩篇が「一つの文書・一貫した総体」として、研究されるようになっている。[]文学的な、また、構造的な研究へのアプローチが主流となり、とりわけ、ヘブル語詩歌のシンタックス研究が決定的な要素となってきている。ハワードは、その変化を、多くの出版物の流れから五つの分野(詩篇文書の創作過程とメッセージ・ヘブル語詩歌・解釈学の変化・様式史批評の変化・古代近東の文脈における詩篇文書)に分類して概略を示している。[] この最近の傾向は、詩篇が讃美の正典として、ある目的(神殿礼拝を通して準備された「新しい歌」という目的であると、筆者は考えているが)を持った統一的文書として形成されたことを探求していこうとしている、本稿のような研究に、きわめて有利な展開であると感じる。

(3)このような構造を考えるとき、まず手がかりとなるのはその五つの巻である。これらは、正典の形成の過程を何らかの形で反映していると思われる。まず、エルサレムに幕屋が置かれてのち、ダビデを中心として結集された部分、次いで、Ⅱ歴代志2930に記されている、ヒゼキヤの時代の神殿礼拝における結集、そして、捕囚後の旧約正典の総括の時代に、歴代志などとともに、「新約時代への飛び板」として再建神殿のために結集された部分である。特に、神名の分析によって、巻毎の特徴が際立っていることはよく知られている。145巻は圧倒的にYHWHであり、23巻はエロヒームが倍以上である。特に王権の詩篇が集中する4巻はYHWHのみである[]。これらは、主な三つの段階を経て、重層的に正典形成がなされた結果であると思われる。更にそこには、詩篇の正典としての最終的な結集と編集のときの、詩篇の文書としての主題の構造が影響している点を見逃すことはできない。第一巻:契約に立つ信仰生活における個人的体験の賛美、第二巻:終末的神の国の歴史の賛美、第三巻:契約の賛美、第四巻:メシヤの王権の賛美、第五巻:礼拝における賛美集の五巻である。それぞれの巻は頌栄で終わっており、初めの12篇は詩篇全体の序篇として、み教え(原語はトーラー)すなわち「契約」と、メシヤの「王権」の二大テーマを示している[10]。そして、詩篇全体の構成が、この二大テーマと、神殿礼拝との、成就の幻を歌うために構成されたと、看破できる。

(4)ということは、どういうことになるだろうか。150篇の詩篇が、聖書の正典として最終的に聖霊によって確定されたとき、その確定を支配した要因が、この構造の研究から透視できるのではないか。 聖書正典となった詩篇の主要主題が「メシヤの王権と契約」であることは、今まで見たとおり、疑いのないところだが、それは、実は、新約聖書のメシヤの到来の時代・成就の時代に光をむけるため、旧約啓示全体の光を、「メシヤの王権と契約」のテーマに集約するための「凸レンズ」が、「詩篇」であったのではないか。または、アンドリュー・スチュワートの最近出版された歴代志注解[11]での言葉を借りると、新約聖書への飛び板として、旧約聖書を「契約と王権」に集約し、新約聖書へと啓示を突入して行かせる役割を、歴代志と共に詩篇も果たしたと言えるのではないか。

「王権と契約」をテーマとする捕囚期の編纂により、詩篇が神殿礼拝のために結集されたことは、エズラ記、ネヘミヤ記の記述に詳述されている。エゼキエル書37章の預言でも明らかにされていたことだが、旧約聖書のメッセージは、捕囚期を経て、メシヤの契約と王権と神殿に要約された。これは、歴代志の構造的テーマそのものでもある。捕囚後の段階において、詩篇もまた同様の「旧約聖書のまとめのメッセージ」を根幹として結集されており、詩篇は、このような意味での、新約のメシヤに備えるための再建神殿での賛美集であった、といえる。

 

2)旧約聖書正典としての詩篇は旧約のためではなく新約教会の賛美として準備された

(1)「旧約聖書の捕囚からの帰還後における最終的な詩篇の集約の課程は、メシヤ到来(のちの新約)の時代のために準備される正典を備えるためであった」、といえる[12]。その中でも、詩篇は、新しいメシヤの到来の時代の公的礼拝における賛美のための歌集となるべく旧約聖書正典の中で準備された。[13]

(2)それは、賛美としては当初の編集事情に沿って、当然当時の神殿で用いられたが、しかし、そこでは、詩篇の構造と内容の備えていた本来の目的を十分満たすことはなかった。詩篇のすべての文脈もメッセージも個々の表現もそこに含むアプリケーションの含蓄も、ただ再建神殿の礼拝のためだけに正典となったと言うことでは、説明がつききらないことばかりとなる。詩篇は、何かを予測して編集され構成されていると、文学的には考えざるを得ないのではないか。その形成の場として利用された再建神殿は、あくまで仮の場であったのであり、いわば、詩篇が誕生したのちには打ち壊される石膏の型に過ぎないものに見える。では、詩篇は、旧約の神殿のためでなければ、何のために作られたのか。それは、新約の時代を想定したのである。メシヤの到来と神の民の契約的生活の成就のときに、本当に輝くように作られていたのであり、地上の模型でなく天上のまことの神殿での礼拝を想定した賛美集だったのだ。詩篇は、旧約のためではなく、新約のためだった。そう理解しないと、むしろ詩篇の主題と構造の必然性が理解できないのではないか。となると想定される歴史を透過する視野での編集、すなわち、新約時代の到来をもあらかじめ透視しての詩篇の文書としての構造編集は、当然人間わざを超える。この「主の事実」は、それを担った捕囚後の神殿礼拝の文脈での最終編集作業をなしたものたちの背後に働かれた、神様の聖霊の霊感のみわざこそが、詩篇編集の主役であられた事に、すべて詩篇を学ぶものの目を向けずには置かないのである。

(3)その後、中間時代以降のシナゴグ礼拝において、詩篇讃美はどのようであったのだろうか。新約における詩篇讃美の正当性を論証する議論において、しばしば強調されてきたのは、シナゴグ礼拝における詩篇の使用からの連続性による議論である。しかし、近年のシナゴク研究は、そのような立場に必ずしも芳しい情報を提供してくれなかった。[14] 思ったほどはシナゴグ礼拝では礼拝の会衆讃美などの痕跡が強くなく、あるのは詩篇詠唱の奨励である。従来の「シナゴグから新約教会へ」の詩篇賛美の連続性からの詩篇賛美の正当性の議論には二つの誤った前提があった。シナゴグは詩篇の会衆讃美で満ちていたという前提と、詩篇は旧約神殿のために作られた讃美がシナゴグを経て新約聖書教会へ旧約以来の神様からの変わらぬ讃美の伝統として伝わったと言う前提である。つまり旧約の神殿讃美と新約の礼拝讃美は、同じ恵みの契約の下にあるから、本質的に同じだと言うのである。そのようにして、初代教会が詩篇讃美をしたことの正当性を理解しようと言う、方向性であったと思う。しかし、それは、旧約正典として神がおつくりになった詩篇が、実は旧約時代のためでなく、新約時代のために用意されたものだったのだと言う事実を見誤っていたのだと言わなければならない。「詩篇」は、確かに神殿礼拝を揺籃としてできたが、それは、神殿礼拝だけのためではなかった。神殿礼拝は、まさに乳母であったのであって、この「詩篇」という聖霊なる神が生みたもうた賛美集の「赤子」は、神殿礼拝だけでその内容を発揮しきれるものでは到底ないとてつもないポテンシアリティーを秘めていた。[15] そしてまた、その地上の神殿を仰いで続いたシナゴグの礼拝でも、この詩篇の賛美は十分生かされることがなかったのだ。

(4)先に少し言及したが、シナゴグでの礼拝の歴史記録の中でも、この詩篇が頻繁に読まれたり朗詠はされたが、会衆の賛美となったという目だった記述は見られない。これは、むしろ当然と言うことになる。事実、シナゴグのユダヤ教においては、神殿の破壊に伴う神殿礼拝の廃絶の状況の中で、詩篇による賛美も、礼拝の賛美としては、いったんは途絶えかけた、と,誤解を恐れなければ、言うことができる。それは、神殿の犠牲の儀式に厳密に伴うものであったことが歴代志などから明らかな、神殿における楽器の使用が、シナゴグで途絶えたことと,期を一にしている。神殿礼拝に伴うものとしての詩篇賛美は、楽器の使用とともに、シナゴグでは、連続性をもてなかった。シナゴグでは、神殿礼拝がなくなった時代ないし神殿礼拝と隔絶されたディアスポラのユダヤ人の間で、宗教教育の観点が本来であったシナゴグの役割が拡張されて、宗教生活の中心としての礼拝がなされるようになったが、そこでは神殿礼拝の代償が果たされるという意識はなく、あくまで旧約聖書の朗読とその翻訳ないし解き明かし(タルグム)が中心であった。その中においては、詩篇が重用されたことは確かであり、そこから初代教会の詩篇賛美の基礎を見る論点が散見されるわけだが、他方シナゴグで常に実際にこの詩篇の歌唱がなされたという、明確な証拠が、最近のシナゴグ礼拝の研究で欠けていることが、問題となる。むしろ、ほかの聖句の詠唱もともなって、詩篇が頻繁に記憶等のためもあって詠唱されたにとどまる。のちの新約礼拝のごとき、詩篇賛美と同様のものを、シナゴグに見出すのはむしろ難しいと率直に認めねばならない。

詩篇は、新約聖書の教会の歴史への登場とともに、その教会の歴史の表舞台に礼拝賛美の主役として躍り出るまで、歴史の中でむしろ本来の役回りを表に出さずに控えていたのである。

 

3)新約時代は準備されていた詩篇賛美の成就の時でもあった

(1)このように旧約聖書の正典として備えられていた「詩篇」による讃美は、メシヤ到来後、使徒的教会において、始めて本来の役割を発揮しはじめた。そもそも、主イエス・キリストのご復活後の新約時代の教会における、当初からの詩篇賛美は、どこから沸き起こってきたものなのだろうか。旧約聖書正典の中にある詩篇そのものが、捕囚後期の旧約聖書正典の結集時代に、新約のメシヤ到来の時代への飛び板の一部として、メシヤの到来に備える「新しい歌」として準備されていたことは、論述した。その詩篇は、メシヤを知らないシナゴグでは、その本来の目的に沿って、高らかに歌われることがなかった。詩篇は、メシヤ・キリストの日のために備えられた賛美だからである。しかし、メシヤの到来を体験した新約の教会は、喜び勇んで、この備えられていた「新しい歌」を高らかに歌って、到来されたメシヤへの賛美をはじめたのである。旧約聖書正典の詩篇は、メシヤの到来の時代の賛美として、あらかじめ備えられた賛美だったのである。主ご自身のみ教えと導きに従って、使徒たちは、詩篇をメシヤへの特別な賛美として明確に意識した。そのことを、新約聖書ははっきり示している。主は、この詩篇を新しい礼拝と霊性を涵養し導くための御霊の最大の手段の一つとして、キリスト教会に備えられたのであった。

(2)新約聖書は、旧約聖書正典におけるこの詩篇の聖定された礼拝賛美の歌集である特別な位置を前提として受け入れた状況において書かれている。ゆえに新たな賛美として詩篇を制定する文言はあまり明白には見られず、ただ詩篇を礼拝賛美の歌として前提としたことを示唆する文言が並んでいる。従って、むしろ、詩篇の賛美こそが「新しい歌」として備えられていたという、神の定めたもう礼拝賛美集としての詩篇の正典性からの論証こそが、礼拝における詩篇賛美の積極的論証の根幹なのであって、新約聖書における詩篇賛美の事実を証する表現は、その詩篇の礼拝賛美における確固たる位置の前提に立った傍証を提供する書き方にすぎない。

(3)しかし、それでも新約聖書における詩篇の用いられ方の検証の重要性に変わりはない。新約聖書に描かれている新約聖書の教会こそが、詩篇という讃美集の聖書正典としての存在意義を成就したのである。詩篇はこの教会の礼拝のために用意されていた。まず、主イエス・キリストご自身が、詩篇を頻繁に引用されて、ご自分の到来による詩篇の成就をお示しになった。詩篇によって主をたたえる道が明示された。そこで、新約聖書に描かれている教会は、主のご存命中から詩篇を既に歌っていたし(例として、主の最後の週に詩篇113118篇の過越のハレルが繰り返し言及され、また「歌われた」と書かれている)、ペンテコステで教会が始まるや、躊躇なく詩篇によって主を讃美しつつ礼拝に宣教に向かっていったと思われる。これが、聖霊によって宣教する教会の霊性の神様からの基盤であったことは疑いない。

新約聖書の讃美についての用語を調べ、当時の教会詩篇讃美の直接的証拠を見てみよう。

まず、プサルモスというギリシャ語だが、旧約聖書では詩篇で72回使われ、詩篇以外では7回だけ用いられる。新約聖書に7回出てくるうち、ルカがこれを用いるときは例外なく詩篇のことを指している。(ルカ20422444、使徒1201333)あとは、Ⅰコリント1426とエペソ519とコロサイ316である。

エペソとコロサイの聖句では、プサルモスはヒュムノスとオデーという用語と組み合わされて、三重表現で出てくる。これは、(1)前後の文脈のカイアスティックな構造から、(2)二つのカイ(and)で三つの単語をつないでいる定型構造から、(3)三つの与格に「霊的な(聖霊の意)」という形容詞の与格がつく構造から(形容詞の与格は三つのうちの最後のオデー(歌)と性が一致しているが、このような三つ並ぶ構造では、全体にかかりうる。ただし、「歌」と言う単語がいちばん世俗的になりうる言葉だから、「霊的な」をつけたと言う意味もあろう。)、以上三つの構造的特徴から、間違いなく同類語反復の構造であって、七十人訳ギリシャ語旧約聖書で詩篇を表している三つの言葉を重ねて、旧約聖書の詩篇を指しているととるのが、もっとも自然である。逆にこれらを、三つの別の「讃美」を指していると取る解釈は、これだけこれらの言葉が詩篇を指す傾向の強い中で、そのそれぞれの言葉が詩篇以外の何かを指すとしてその意味を確定することは、恣意的に「賛美歌」とかを無理に読み込む以外には、確たる証拠が新約にも旧約にもなく、はるかに大きな釈義上の困難に直面することを認識すべきである。

次のヒュムノスという単語は、旧約では詩篇で13回それ以外で3回使われる。新約の引証はこのエペソとコロサイの二箇所しかないので参考にならない。では、ヒュムネオーというギリシャ語は、英語の賛美歌(ヒムン)の語源関連語だが、賛美歌の存在を指すのだろうか。旧約の過越のハレル(詩篇113118)に言及するマタイ2630とマルコ1426では、ヒュムネオーが用いられ、詩篇を指していると考えられる。だから、使徒1625のピリピの牢獄での讃美がヒュムネオーであるが、これが詩篇讃美でないとはいえない。むしろ、そう考えるのが自然である。あと、ヘブル212のヒュムネオーも詩篇22篇の引用の中にある。

もう一つのオデーという単語は、一番一般的で、「歌」と訳される。旧約では詩篇で44回それ以外で27回用いられ、その27回のうちの10回が詩篇以外を指している。しかし、捕囚後の歴代志記者になると、神殿讃美集としての「詩篇」に限定されて用いられるようになっている。新約聖書では、このエペソとコロサイの二箇所と、次に説明するヨハネ黙示録の59, 143, 153の三箇所だけであり、いずれも詩篇ないしその終末の形を指していて、人間の創作する歌を指しているとは考えられない。

このように、三つの用語の検討からも、このエペソとコロサイの二つの聖句が人間の三種類の創作讃美を表していると言う可能性はないと言うべきであり、この表現がたとえ表面上の語彙的文法的論理のみでは詩篇と限定できないにしても、その用法やシンタックスからは、詩篇をもっとも自然に連想させる同意語反復の書き方であったとは、断定できる。

そして、この二箇所のプサルモスが詩篇であるなら、Ⅰコリント1426を詩篇であると読むことも自然となる。新約聖書のみ言葉の中で、「詩と賛美と霊の歌(聖霊の)」すなわち「詩篇による賛美」が教会の中で賛美されるように、二箇所にわたって繰り返してはっきりと命じられているのである。[16]

また、特に、少なくとも、ヒュムノスが霊感されていない人間の創作による賛美歌を指していた可能性はないことを覚えるべきである。

また、「聖霊による」すなわち、「霊感された」歌を歌えと命じられていることは、先の「霊の」と言う表現が三つの賛美を表す言葉に加えられていることだけでも十分意味が示されているが、エペソ518以降の文脈表現からも確かである。これは、神中心の礼拝の精神から言っても、よく理解できよう。つまり、神がお与えくださったみことばを受けるままに、それをお返しする讃美をして主に応答させていただくことは、きわめて神中心的な礼拝の姿として、ふさわしいことに気がつくべきである。[17]この「霊感された歌のみが神礼拝にふさわしい」という点について、フラートンの小論は印象的で説得的である。[18] 今日、諸長老教会の中に、詩篇のみを歌うことが聖書的であるということまで確信できなくても、礼拝では霊感された聖書のみ言葉そのものを歌う賛美のみによって、従順に神様に応答すべきだと考えている、多くの人々がいる。

ダビデが、「主の霊は,私を通して語り,その言葉は私の舌にある。」(Ⅱサムエル232)と言っているが、そのような聖霊の霊感による歌こそが、まことの神礼拝にはふさわしい。人間の創作の歌を心のままに歌うのは自由だが、神礼拝にはふさわしいものではない。

プサローについては、新約聖書では、エペソ519b、ロマ159(詩篇の引用箇所)、Ⅰコリント1415、ヤコブ513にある。特にヤコブのところが「賛美せよ(プサレトー)」との命令だが「詩篇を賛美せよ」、と解くことができ、印象的である。

(4)新約聖書の終末論においても、詩篇は、独特な賛美の正典としての位置を深めている。 ヨハネの黙示録において歌われている、「新しい歌」なる讃美は、本質的に詩篇に基づいている。 言うならば、天国での歌は、終末的な形を取った詩篇歌に他ならない。ゲルハルダス・ボスのこの関係についての論文[19]を用いた、リチャード・ギャンブルの研究[20]は、その関係を明確に浮き彫りにする。たとえば、59は詩篇132710と、511は詩篇1482と、51213は詩篇21:1-5と、詩篇15:3-4111398614498などと共鳴している。(出エジプト記151f., エレミヤ書10, 申命記32章も参照)