公的礼拝[]における詩篇による賛美

                              瀧浦 滋

 

 

I.公的礼拝で詩篇のみを賛美することについての積極的な根拠[]

 

1)旧約聖書詩篇の讃美の正典としての成立と近年の研究の傾向

(1)キリスト教会の公的礼拝での詩篇讃美の正当性を論ずるには、まず、「詩篇は讃美の正典である。」 という論題が証明されなければならない。旧約聖書の時代における神殿礼拝のための讃美集としての詩篇の聖書正典形成こそが、のちのキリスト教会における公的礼拝(毎安息日ごとに守られる、キリストにあって選ばれ召された者たちが、神の民として恵みの契約に応答して集う、礼拝)の「讃美集」として、神様が「詩篇」をお与えになった事実の出発点である。したがって、まず、旧約聖書における詩篇の正典としての成立過程が検証されねばならない。この論議は、「詩篇讃美の正典論的論証」と呼ばれる。ここでは、従来よりも踏みこんだ形で、まず、詩篇の「正典」であることの意味を突き詰めることから、詩篇讃美が神の定めたもう礼拝讃美であることを、明らかにしたいと思う。

(2)旧約聖書の「詩篇」の正典としての形成は、詩篇そのものの内容と構造からして、明らかに神殿礼拝の賛美を目的としていたことは、異論の余地がない。しかし、実際に詩篇がどのような文書として神殿礼拝のために与えられているのかについては、近年の研究のなかで、大きな混乱がある。そこに、正典としての詩篇の目的と性格があいまいとされている一つの原因が潜んでいる。

詩篇と言う書の成り立ちについては、一世紀近くにわたって、聖書を一方的に批評的理性によってのみ見るものたちによって、ほとんど統一性とか詩篇の文書としての意味が省みられなかった研究の歴史がある。ただ、「ヨシヤの統一聖所」(ベルハウゼン)以降のさまざまな時代の神殿礼拝を反映する雑多なアンソロジーとされ、いわばその地層または年輪が不完全に現れているのが、現在の詩篇の姿だと片付けられてきたきらいがある。たとえば、マソラ本文に区別なく存在している各詩篇の表題の価値を否定し、一方的に無視する傾向は、そのような姿勢の現れの一つである[]。今でも詩篇に関する注解や研究書の多くにそのようないわば詩篇の構造について文学的に思考することをあきらめた、または、積極的に否定する立場の根深い影響を見る。

戦後になって、いわゆる宗教史学派の影響や北欧の学派の影響の下で、詩篇を王の即位式(たとえばモービンケル)または契約更新の儀式(たとえばバイザー)と神殿礼拝(たとえばヴェスターマン)との連関の中で捉えるようになってきたのは、少なくとも詩篇のテーマである「王権」と「契約」そして「神殿礼拝」(これらは、歴代志のテーマでもあり、捕囚後の旧約聖書正典結集を理解する鍵でもあると思う。)を浮き彫りにした点では、功績があるとせねばならないだろう。たとえば、「王権」の強調について例を挙げれば、この研究の流れの中で、クリストフ・バルトは、正直に「詩篇は非常に限られた意味でだけ、「文学」と理解することが許される。」[]と書いた上でだが、詩篇がダビデをこのようにまで重視している理由は、単に彼が多くの詩篇の作者であったことから来るのではなく(確かにⅡ歴代志2930で、ヒゼキヤ王がダビデの詩篇を神殿で歌うように命じた旨書いてあるように、ダビデは詩篇歌集の主たるソースだが)、ダビデが「詩篇の王」になったのは、「神の僕にしてイスラエルの「王」であるダビデの際立った位置からであった」と、断じた[]。(Ⅱサムエル7章:ダビデ契約) また、「契約」と詩篇の関連では、ラスシャムラなどから出たカナンの詩文書と詩篇を比較して、いかに他の詩文書との類似性が示されるにせよ、旧約聖書のすべての詩歌には基本的な宗教的ユニークさが与えられており、それは、イスラエルの「契約」的有神論の刻印が生んでいるユニークさなのだ、とF. F. ブルースは述べている[]。 このように、詩篇の中心的主題についてより明確な認識が広まってきたことは前進であるが、依然として詩篇の一つの文書としての統一性やそれに基づく文学的構造などを確信を持って論ずる風潮は、近年まで見られなかった。

ところが1985年以降15年ほどの間に、世界の詩篇研究に大きな変化が現れている。それは、詩篇を一つの文書であると考え、詩篇の文学的神学的構造を踏まえた主題と文脈の文学的研究が詩篇の理解にとって不可欠のものと見るように、変わってきたことである。最近のこのような詩篇研究における変化を良くまとめているのは、デイビッド・M・ハワードの論文であり、彼は「20世紀末の詩篇研究は1970年代の研究と大変違ったものになっている。」といって、その違いを「聖書研究におけるパラダイム・シフトだ」と呼ぶ。

聖書のテキストが文学的完結体として捕らえられるようになり、全体として正典的である存在として受け止めて研究がなされるようになってきた。それは、詩篇研究では特に顕著な影響を表し、詩篇が「一つの文書・一貫した総体」として、研究されるようになっている。[]文学的な、また、構造的な研究へのアプローチが主流となり、とりわけ、ヘブル語詩歌のシンタックス研究が決定的な要素となってきている。ハワードは、その変化を、多くの出版物の流れから五つの分野(詩篇文書の創作過程とメッセージ・ヘブル語詩歌・解釈学の変化・様式史批評の変化・古代近東の文脈における詩篇文書)に分類して概略を示している。[] この最近の傾向は、詩篇が讃美の正典として、ある目的(神殿礼拝を通して準備された「新しい歌」という目的であると、筆者は考えているが)を持った統一的文書として形成されたことを探求していこうとしている、本稿のような研究に、きわめて有利な展開であると感じる。

(3)このような構造を考えるとき、まず手がかりとなるのはその五つの巻である。これらは、正典の形成の過程を何らかの形で反映していると思われる。まず、エルサレムに幕屋が置かれてのち、ダビデを中心として結集された部分、次いで、Ⅱ歴代志2930に記されている、ヒゼキヤの時代の神殿礼拝における結集、そして、捕囚後の旧約正典の総括の時代に、歴代志などとともに、「新約時代への飛び板」として再建神殿のために結集された部分である。特に、神名の分析によって、巻毎の特徴が際立っていることはよく知られている。145巻は圧倒的にYHWHであり、23巻はエロヒームが倍以上である。特に王権の詩篇が集中する4巻はYHWHのみである[]。これらは、主な三つの段階を経て、重層的に正典形成がなされた結果であると思われる。更にそこには、詩篇の正典としての最終的な結集と編集のときの、詩篇の文書としての主題の構造が影響している点を見逃すことはできない。第一巻:契約に立つ信仰生活における個人的体験の賛美、第二巻:終末的神の国の歴史の賛美、第三巻:契約の賛美、第四巻:メシヤの王権の賛美、第五巻:礼拝における賛美集の五巻である。それぞれの巻は頌栄で終わっており、初めの12篇は詩篇全体の序篇として、み教え(原語はトーラー)すなわち「契約」と、メシヤの「王権」の二大テーマを示している[10]。そして、詩篇全体の構成が、この二大テーマと、神殿礼拝との、成就の幻を歌うために構成されたと、看破できる。

(4)ということは、どういうことになるだろうか。150篇の詩篇が、聖書の正典として最終的に聖霊によって確定されたとき、その確定を支配した要因が、この構造の研究から透視できるのではないか。 聖書正典となった詩篇の主要主題が「メシヤの王権と契約」であることは、今まで見たとおり、疑いのないところだが、それは、実は、新約聖書のメシヤの到来の時代・成就の時代に光をむけるため、旧約啓示全体の光を、「メシヤの王権と契約」のテーマに集約するための「凸レンズ」が、「詩篇」であったのではないか。または、アンドリュー・スチュワートの最近出版された歴代志注解[11]での言葉を借りると、新約聖書への飛び板として、旧約聖書を「契約と王権」に集約し、新約聖書へと啓示を突入して行かせる役割を、歴代志と共に詩篇も果たしたと言えるのではないか。

「王権と契約」をテーマとする捕囚期の編纂により、詩篇が神殿礼拝のために結集されたことは、エズラ記、ネヘミヤ記の記述に詳述されている。エゼキエル書37章の預言でも明らかにされていたことだが、旧約聖書のメッセージは、捕囚期を経て、メシヤの契約と王権と神殿に要約された。これは、歴代志の構造的テーマそのものでもある。捕囚後の段階において、詩篇もまた同様の「旧約聖書のまとめのメッセージ」を根幹として結集されており、詩篇は、このような意味での、新約のメシヤに備えるための再建神殿での賛美集であった、といえる。

 

2)旧約聖書正典としての詩篇は旧約のためではなく新約教会の賛美として準備された

(1)「旧約聖書の捕囚からの帰還後における最終的な詩篇の集約の課程は、メシヤ到来(のちの新約)の時代のために準備される正典を備えるためであった」、といえる[12]。その中でも、詩篇は、新しいメシヤの到来の時代の公的礼拝における賛美のための歌集となるべく旧約聖書正典の中で準備された。[13]

(2)それは、賛美としては当初の編集事情に沿って、当然当時の神殿で用いられたが、しかし、そこでは、詩篇の構造と内容の備えていた本来の目的を十分満たすことはなかった。詩篇のすべての文脈もメッセージも個々の表現もそこに含むアプリケーションの含蓄も、ただ再建神殿の礼拝のためだけに正典となったと言うことでは、説明がつききらないことばかりとなる。詩篇は、何かを予測して編集され構成されていると、文学的には考えざるを得ないのではないか。その形成の場として利用された再建神殿は、あくまで仮の場であったのであり、いわば、詩篇が誕生したのちには打ち壊される石膏の型に過ぎないものに見える。では、詩篇は、旧約の神殿のためでなければ、何のために作られたのか。それは、新約の時代を想定したのである。メシヤの到来と神の民の契約的生活の成就のときに、本当に輝くように作られていたのであり、地上の模型でなく天上のまことの神殿での礼拝を想定した賛美集だったのだ。詩篇は、旧約のためではなく、新約のためだった。そう理解しないと、むしろ詩篇の主題と構造の必然性が理解できないのではないか。となると想定される歴史を透過する視野での編集、すなわち、新約時代の到来をもあらかじめ透視しての詩篇の文書としての構造編集は、当然人間わざを超える。この「主の事実」は、それを担った捕囚後の神殿礼拝の文脈での最終編集作業をなしたものたちの背後に働かれた、神様の聖霊の霊感のみわざこそが、詩篇編集の主役であられた事に、すべて詩篇を学ぶものの目を向けずには置かないのである。

(3)その後、中間時代以降のシナゴグ礼拝において、詩篇讃美はどのようであったのだろうか。新約における詩篇讃美の正当性を論証する議論において、しばしば強調されてきたのは、シナゴグ礼拝における詩篇の使用からの連続性による議論である。しかし、近年のシナゴク研究は、そのような立場に必ずしも芳しい情報を提供してくれなかった。[14] 思ったほどはシナゴグ礼拝では礼拝の会衆讃美などの痕跡が強くなく、あるのは詩篇詠唱の奨励である。従来の「シナゴグから新約教会へ」の詩篇賛美の連続性からの詩篇賛美の正当性の議論には二つの誤った前提があった。シナゴグは詩篇の会衆讃美で満ちていたという前提と、詩篇は旧約神殿のために作られた讃美がシナゴグを経て新約聖書教会へ旧約以来の神様からの変わらぬ讃美の伝統として伝わったと言う前提である。つまり旧約の神殿讃美と新約の礼拝讃美は、同じ恵みの契約の下にあるから、本質的に同じだと言うのである。そのようにして、初代教会が詩篇讃美をしたことの正当性を理解しようと言う、方向性であったと思う。しかし、それは、旧約正典として神がおつくりになった詩篇が、実は旧約時代のためでなく、新約時代のために用意されたものだったのだと言う事実を見誤っていたのだと言わなければならない。「詩篇」は、確かに神殿礼拝を揺籃としてできたが、それは、神殿礼拝だけのためではなかった。神殿礼拝は、まさに乳母であったのであって、この「詩篇」という聖霊なる神が生みたもうた賛美集の「赤子」は、神殿礼拝だけでその内容を発揮しきれるものでは到底ないとてつもないポテンシアリティーを秘めていた。[15] そしてまた、その地上の神殿を仰いで続いたシナゴグの礼拝でも、この詩篇の賛美は十分生かされることがなかったのだ。

(4)先に少し言及したが、シナゴグでの礼拝の歴史記録の中でも、この詩篇が頻繁に読まれたり朗詠はされたが、会衆の賛美となったという目だった記述は見られない。これは、むしろ当然と言うことになる。事実、シナゴグのユダヤ教においては、神殿の破壊に伴う神殿礼拝の廃絶の状況の中で、詩篇による賛美も、礼拝の賛美としては、いったんは途絶えかけた、と,誤解を恐れなければ、言うことができる。それは、神殿の犠牲の儀式に厳密に伴うものであったことが歴代志などから明らかな、神殿における楽器の使用が、シナゴグで途絶えたことと,期を一にしている。神殿礼拝に伴うものとしての詩篇賛美は、楽器の使用とともに、シナゴグでは、連続性をもてなかった。シナゴグでは、神殿礼拝がなくなった時代ないし神殿礼拝と隔絶されたディアスポラのユダヤ人の間で、宗教教育の観点が本来であったシナゴグの役割が拡張されて、宗教生活の中心としての礼拝がなされるようになったが、そこでは神殿礼拝の代償が果たされるという意識はなく、あくまで旧約聖書の朗読とその翻訳ないし解き明かし(タルグム)が中心であった。その中においては、詩篇が重用されたことは確かであり、そこから初代教会の詩篇賛美の基礎を見る論点が散見されるわけだが、他方シナゴグで常に実際にこの詩篇の歌唱がなされたという、明確な証拠が、最近のシナゴグ礼拝の研究で欠けていることが、問題となる。むしろ、ほかの聖句の詠唱もともなって、詩篇が頻繁に記憶等のためもあって詠唱されたにとどまる。のちの新約礼拝のごとき、詩篇賛美と同様のものを、シナゴグに見出すのはむしろ難しいと率直に認めねばならない。

詩篇は、新約聖書の教会の歴史への登場とともに、その教会の歴史の表舞台に礼拝賛美の主役として躍り出るまで、歴史の中でむしろ本来の役回りを表に出さずに控えていたのである。

 

3)新約時代は準備されていた詩篇賛美の成就の時でもあった

(1)このように旧約聖書の正典として備えられていた「詩篇」による讃美は、メシヤ到来後、使徒的教会において、始めて本来の役割を発揮しはじめた。そもそも、主イエス・キリストのご復活後の新約時代の教会における、当初からの詩篇賛美は、どこから沸き起こってきたものなのだろうか。旧約聖書正典の中にある詩篇そのものが、捕囚後期の旧約聖書正典の結集時代に、新約のメシヤ到来の時代への飛び板の一部として、メシヤの到来に備える「新しい歌」として準備されていたことは、論述した。その詩篇は、メシヤを知らないシナゴグでは、その本来の目的に沿って、高らかに歌われることがなかった。詩篇は、メシヤ・キリストの日のために備えられた賛美だからである。しかし、メシヤの到来を体験した新約の教会は、喜び勇んで、この備えられていた「新しい歌」を高らかに歌って、到来されたメシヤへの賛美をはじめたのである。旧約聖書正典の詩篇は、メシヤの到来の時代の賛美として、あらかじめ備えられた賛美だったのである。主ご自身のみ教えと導きに従って、使徒たちは、詩篇をメシヤへの特別な賛美として明確に意識した。そのことを、新約聖書ははっきり示している。主は、この詩篇を新しい礼拝と霊性を涵養し導くための御霊の最大の手段の一つとして、キリスト教会に備えられたのであった。

(2)新約聖書は、旧約聖書正典におけるこの詩篇の聖定された礼拝賛美の歌集である特別な位置を前提として受け入れた状況において書かれている。ゆえに新たな賛美として詩篇を制定する文言はあまり明白には見られず、ただ詩篇を礼拝賛美の歌として前提としたことを示唆する文言が並んでいる。従って、むしろ、詩篇の賛美こそが「新しい歌」として備えられていたという、神の定めたもう礼拝賛美集としての詩篇の正典性からの論証こそが、礼拝における詩篇賛美の積極的論証の根幹なのであって、新約聖書における詩篇賛美の事実を証する表現は、その詩篇の礼拝賛美における確固たる位置の前提に立った傍証を提供する書き方にすぎない。

(3)しかし、それでも新約聖書における詩篇の用いられ方の検証の重要性に変わりはない。新約聖書に描かれている新約聖書の教会こそが、詩篇という讃美集の聖書正典としての存在意義を成就したのである。詩篇はこの教会の礼拝のために用意されていた。まず、主イエス・キリストご自身が、詩篇を頻繁に引用されて、ご自分の到来による詩篇の成就をお示しになった。詩篇によって主をたたえる道が明示された。そこで、新約聖書に描かれている教会は、主のご存命中から詩篇を既に歌っていたし(例として、主の最後の週に詩篇113118篇の過越のハレルが繰り返し言及され、また「歌われた」と書かれている)、ペンテコステで教会が始まるや、躊躇なく詩篇によって主を讃美しつつ礼拝に宣教に向かっていったと思われる。これが、聖霊によって宣教する教会の霊性の神様からの基盤であったことは疑いない。

新約聖書の讃美についての用語を調べ、当時の教会詩篇讃美の直接的証拠を見てみよう。

まず、プサルモスというギリシャ語だが、旧約聖書では詩篇で72回使われ、詩篇以外では7回だけ用いられる。新約聖書に7回出てくるうち、ルカがこれを用いるときは例外なく詩篇のことを指している。(ルカ20422444、使徒1201333)あとは、Ⅰコリント1426とエペソ519とコロサイ316である。

エペソとコロサイの聖句では、プサルモスはヒュムノスとオデーという用語と組み合わされて、三重表現で出てくる。これは、(1)前後の文脈のカイアスティックな構造から、(2)二つのカイ(and)で三つの単語をつないでいる定型構造から、(3)三つの与格に「霊的な(聖霊の意)」という形容詞の与格がつく構造から(形容詞の与格は三つのうちの最後のオデー(歌)と性が一致しているが、このような三つ並ぶ構造では、全体にかかりうる。ただし、「歌」と言う単語がいちばん世俗的になりうる言葉だから、「霊的な」をつけたと言う意味もあろう。)、以上三つの構造的特徴から、間違いなく同類語反復の構造であって、七十人訳ギリシャ語旧約聖書で詩篇を表している三つの言葉を重ねて、旧約聖書の詩篇を指しているととるのが、もっとも自然である。逆にこれらを、三つの別の「讃美」を指していると取る解釈は、これだけこれらの言葉が詩篇を指す傾向の強い中で、そのそれぞれの言葉が詩篇以外の何かを指すとしてその意味を確定することは、恣意的に「賛美歌」とかを無理に読み込む以外には、確たる証拠が新約にも旧約にもなく、はるかに大きな釈義上の困難に直面することを認識すべきである。

次のヒュムノスという単語は、旧約では詩篇で13回それ以外で3回使われる。新約の引証はこのエペソとコロサイの二箇所しかないので参考にならない。では、ヒュムネオーというギリシャ語は、英語の賛美歌(ヒムン)の語源関連語だが、賛美歌の存在を指すのだろうか。旧約の過越のハレル(詩篇113118)に言及するマタイ2630とマルコ1426では、ヒュムネオーが用いられ、詩篇を指していると考えられる。だから、使徒1625のピリピの牢獄での讃美がヒュムネオーであるが、これが詩篇讃美でないとはいえない。むしろ、そう考えるのが自然である。あと、ヘブル212のヒュムネオーも詩篇22篇の引用の中にある。

もう一つのオデーという単語は、一番一般的で、「歌」と訳される。旧約では詩篇で44回それ以外で27回用いられ、その27回のうちの10回が詩篇以外を指している。しかし、捕囚後の歴代志記者になると、神殿讃美集としての「詩篇」に限定されて用いられるようになっている。新約聖書では、このエペソとコロサイの二箇所と、次に説明するヨハネ黙示録の59, 143, 153の三箇所だけであり、いずれも詩篇ないしその終末の形を指していて、人間の創作する歌を指しているとは考えられない。

このように、三つの用語の検討からも、このエペソとコロサイの二つの聖句が人間の三種類の創作讃美を表していると言う可能性はないと言うべきであり、この表現がたとえ表面上の語彙的文法的論理のみでは詩篇と限定できないにしても、その用法やシンタックスからは、詩篇をもっとも自然に連想させる同意語反復の書き方であったとは、断定できる。

そして、この二箇所のプサルモスが詩篇であるなら、Ⅰコリント1426を詩篇であると読むことも自然となる。新約聖書のみ言葉の中で、「詩と賛美と霊の歌(聖霊の)」すなわち「詩篇による賛美」が教会の中で賛美されるように、二箇所にわたって繰り返してはっきりと命じられているのである。[16]

また、特に、少なくとも、ヒュムノスが霊感されていない人間の創作による賛美歌を指していた可能性はないことを覚えるべきである。

また、「聖霊による」すなわち、「霊感された」歌を歌えと命じられていることは、先の「霊の」と言う表現が三つの賛美を表す言葉に加えられていることだけでも十分意味が示されているが、エペソ518以降の文脈表現からも確かである。これは、神中心の礼拝の精神から言っても、よく理解できよう。つまり、神がお与えくださったみことばを受けるままに、それをお返しする讃美をして主に応答させていただくことは、きわめて神中心的な礼拝の姿として、ふさわしいことに気がつくべきである。[17]この「霊感された歌のみが神礼拝にふさわしい」という点について、フラートンの小論は印象的で説得的である。[18] 今日、諸長老教会の中に、詩篇のみを歌うことが聖書的であるということまで確信できなくても、礼拝では霊感された聖書のみ言葉そのものを歌う賛美のみによって、従順に神様に応答すべきだと考えている、多くの人々がいる。

ダビデが、「主の霊は,私を通して語り,その言葉は私の舌にある。」(Ⅱサムエル232)と言っているが、そのような聖霊の霊感による歌こそが、まことの神礼拝にはふさわしい。人間の創作の歌を心のままに歌うのは自由だが、神礼拝にはふさわしいものではない。

プサローについては、新約聖書では、エペソ519b、ロマ159(詩篇の引用箇所)、Ⅰコリント1415、ヤコブ513にある。特にヤコブのところが「賛美せよ(プサレトー)」との命令だが「詩篇を賛美せよ」、と解くことができ、印象的である。

(4)新約聖書の終末論においても、詩篇は、独特な賛美の正典としての位置を深めている。 ヨハネの黙示録において歌われている、「新しい歌」なる讃美は、本質的に詩篇に基づいている。 言うならば、天国での歌は、終末的な形を取った詩篇歌に他ならない。ゲルハルダス・ボスのこの関係についての論文[19]を用いた、リチャード・ギャンブルの研究[20]は、その関係を明確に浮き彫りにする。たとえば、59は詩篇132710と、511は詩篇1482と、51213は詩篇21:1-5と、詩篇15:3-4111398614498などと共鳴している。(出エジプト記151f., エレミヤ書10, 申命記32章も参照)また、153は詩篇2, 1016, 199, 8610, 1112, 13914と、154は詩篇223899と共鳴している。このように、その内容が「天国の讃美」に成就するように、詩篇の賛美は私たちに讃美の正典として与えられているのである。

4)初代教会以来、教会の礼拝における賛美は詩篇であった

(1)従って当然初代教会の賛美は、独特の礼拝讃美として天与の権威がある、「詩篇」であった。初代教会の賛美についての信頼に値する記録は、すべてそれが詩篇賛美であったことを記している。いわゆる賛美歌、人間による信仰の歌の創作とその使用は、異端の中ではじめ主に見られるのであって、それに対抗するために正統教会においてもある地歩を占めるようになったと見ることが妥当である。クルマン[21]などをはじめ、近代の新約聖書学者の中で、新約聖書の書簡などに見られる詩文を初代教会の歌唱の痕跡であるとする試みがあるが、そのどれも証明されてはおらず、初代教会の詩篇賛美についての圧倒的な証拠とはくらべるべくもない。もちろん新約聖書時代にも歌はあったであろうが、それが礼拝で賛美されていたかについては、詩篇以外論証されない。その理由は、前述したような、主ご自身の、詩篇をメシヤの到来の時代のための特別な賛美の正典とする指導に基づいて、教会が、詩篇の、神様が霊感され正典として聖定されたメシヤの到来によって成就されたまことの神殿礼拝の賛美であるという特質を自覚的に意識し、神の準備されたメシヤ賛美の正典に従って、到来されたメシヤを賛美したからである。

(2)礼拝における詩篇賛美が新約聖書において前提とされていたという事実は、キリスト教会が初代教会の当初から、詩篇を礼拝の賛美として用いた事実を伝える、多くの歴史的証言とも合致する。

教会史家のケネス・ラトーレットは、「クリスチャンたちは、そのきわめて初期、いやおそらくその始まりから、彼らの礼拝に詩篇を用いていた....それは主にギリシャ語訳の詩篇だった。」と書いている。[22]

詩篇の教会でのリタジカルな使用について、聖書の後の時代の最初の記録を私たちに残しているのは、テルトリアヌスである。

アタナシウス(373)は、「詩篇よりすばらしいものを人が見出しうるとは思わない」と告白した。アンブロシウス(397)は、「詩篇は、神への讃美であり、人間の光栄であり、教会の声であり、信仰告白である」と言った。アウグスティヌスは、「神より与えられずしては、神の前でふさわしい歌を歌いうることは決してありえない。」と述べている。また「告白」のなかで、「教会において私たちは真剣に神的起源の歌を歌うのだが……の歌を歌うことで彼らの心の酩酊をあおっている」とドナティストを批判している。クリソストムは、詩篇讃美を、「天使の群れとの交わりに導かれることだ」と言っており、ブッシェルはクリソストムが、「非霊感歌曲を公的礼拝で使用することに関して、きっぱりと嫌悪を示した」と付言する。ヒエロニムスは、「幼い日から詩篇を学び、年老いてなお、歌い続けている」と言った。これらの初代教父以来の聖徒たちの詩篇による信仰生活は、R. E. Prothero, The Psalms in Human Life[23] が大変詳しく、多くの逸話を読むことができる。もちろん、有名なフリップ・シャフの教会史の著作にもあるし、前述のブッシェルも大切ないくつかに言及している。

コンスタンチノープル主教(456471)ゲンナディウスは、詩篇を歌うことに不熱心なものの按手を拒否した。また、ロマ教皇グレゴリウス1世は、詩篇についての無知のゆえに長老ヨハネスなる者のラベンナ大司教への叙任を拒否した。これらは、詩篇讃美がいかに初代教会の実践にとって生命的であったかを示している。第二ニケア公会議(653年)では、詩篇を熟知したもののみ監督として叙任されるべきであるとした。また、第八トレド公会議(757年)では、詩篇全篇を完璧に知らないものは、今後教会の公職に推されることがあってはならないとした。これは、詩篇讃美が生活と礼拝の中に確立されている教会なら、実際的にありえる要求となる。[24]

宗教改革で、これら初代教会の礼拝における詩篇讃美を復興したカルバンは、ジュネーブ詩篇歌の序文で、アウグスティヌスとクリソストムを引いて、礼拝における詩篇による讃美の正当性を裏付けている。[25]

(3)またこのことは、公的礼拝(神の民レイトゥルギアとしての宗教生活の構造全体の視野)における賛美の制定が、当然私的礼拝においても賛美の基本を形成し,霊性の涵養の核をなすことを意味する。公的とは、契約への正式な応答として、民として王にささげるという意味[26]だが、私的礼拝であっても、その礼拝である限りはその中核を契約的応答が占めるのは変わらないわけだから、その礼拝の契約的応答の部分、すなわち神の民としての礼拝的生活と言う公的傾向を含蓄している部分は、詩篇が中心となって指導するものでなければならない。家庭礼拝はその最たる姿だ。しかし、詩篇は神殿礼拝のために定められた当初から、公的契約的礼拝のために定められたことが明白でもあり、この「公的」という言葉の意味が広くても、意味を無視してその限定をあいまいに拡大することは許されない。[27]

(4)人間の創作になる信仰の音楽について付言すれば、生活自体の中で神様への信仰を奏でることは、主にある文化の重要な一面であり、この「公的」という限定は逆に神礼拝における神ご自身の制定の絶対的優先を確保しつつ人間が生活の中で歌う自由を文化として保障するものといえる。信仰の歌なら「賛美」だと安易にレッテルを貼るのが混乱の元で、「賛美」とは厳密には神礼拝につながる歌で詩篇のみであるが、一方、生活の中での人が自由な歌の営みや交わりで信仰を表現することもあり、一般の歌もあるということだ。

 

5)宗教改革における詩篇の再興とその後

(1)宗教改革はキリストの直接支配の原理で教会を改革し礼拝も改革した。

礼拝の神様を中心とする規範的原理と信仰者の霊性において詩篇は柱である。それは、賛美というものも、主にあくまで服する、神中心の礼拝精神の表れでなければならないからなのであって、人間が恣意的に表現するあれこれが、正式な契約の恵みへの応答の礼拝ではふさわしくなく、むしろ、神様の与えたもうメシヤを、神様の霊感されたメシヤのみことばにまず聞くことに始まる賛美を持って賛美することこそが、契約の応答の礼拝としては、求められていることだからである。この神様の定めたもうことにただ忠実に聞き従うことを中心とする、いわゆる規範的原理[28]の神中心の精神が、キリスト教会の初代教会以来の、礼拝の基本であり、キリスト教本来の、礼拝を中心とした「霊性」の根幹であることを、想起せねばならない。詩篇は、そのような礼拝原理と信仰者の霊性を、具体的に導くものとして、神様が聖書正典の中に備えたもうたものであると、理解するときに、はじめて、その構造も、聖書正典全体における位置も、内容も、解釈と適用も、正しく把握することが出来る。

(2)このような詩篇を神様の定めたもう礼拝賛美集とする聖書正典の原則に立って、宗教改革は詩篇の礼拝賛美における正当な独占的位置を回復する運動でもあった。

ドイツでは宗教改革の力強い進展と共に、ルターにより大衆歌とされた詩篇46篇が流れ、スコットランドでは全土を詩篇歌が覆い、また迫害の時代が来るや、信仰の自由のための抵抗を家庭や野外での野火のように広がる詩篇賛美が支えた。また、多くの殉教のたびに詩篇が歌われた。それは教会の霊性のために聖書の中で神がお定めになった聖霊による霊感によって絶対の保証を持つ霊性の土台であり、確かに教会の生活全般に及ぶべき礼拝の恵みの訓練(リタジー)の実質的中心をなすものであった。

(3)とくに英国の宗教改革の戦いにおける、規範的原理の位置は重要である。ブリテン諸島の宗教改革の歴史を考えるとき、礼拝・教理・教会政治と教会国家関係をめぐる具体的な、特に王との対立が、その歴史的葛藤の中心をなしていることに気がつく。宗教改革にとって、規定原理、特に、礼拝における規定原理は、理屈ではなく、信仰の自由がかかっている、命を懸けた日々の戦いの根幹を成す原理であったのだ。また、その礼拝の規範的原理によって讃美が続けられた詩篇賛美が、ヨーロッパの各地でも見られたことだが、これらのイギリスの島々では特に、宗教改革の福音的霊性を支えた。それは、宗教改革活動の教理にも生活に深い影響を与えた。

(4)その後、宗教戦争やカトリック勢力によるフランスやスコットランドなど各地でのプロテスタント殺戮の17世紀を経るうちに、忍び寄る啓蒙主義にいたる思潮の傾斜もあって、ヨーロッパでは、宗教改革が「キリストが救われる」のモットーと共に高く掲げた、「キリストが君臨される」との信仰による幻、教会と社会をキリストのもと服さしめる諸国家全体の改革の幻が失われて、「世の君主か、さもなくば理性あるいは自我が君臨する」という原理がとってかわる信仰退廃の時代が、18世紀と共にやってくる。[29]そこにおいては、詩篇のキリスト中心の世界観の霊性は現実味を失い、急速に世俗化する人々の心は、詩篇賛美を心の歌と出来なくなっていった。

その退廃の危機の中から、二つの流れが教会を担うようになる。それは、理性主義のリベラリズムと、敬虔主義のエバンジェリカリズムである。なかでも、後者が世界の教会を支えて、宣教を発展させていくことになる。これらの傾向が賛美の変質に現れた。リベラリズムは、賛美を徹底して人間主義化した。また、エバンジェリカリズムは、賛美を個人の敬虔の体験に閉じ込めていった。リタジー全般も、教会の交わりにおける人間的共感の歌、ないし個人の霊性のメソッドの問題に閉じ込められてしまった。このようにして、聖書の神の国の幻の衰退と共に、聖書に定められ、初代から教会の礼拝賛美として歌い継がれた詩篇の賛美も、とくに宣教先の各国においては、全く廃れるにいたったのである。それと共、教会は霊性とリタジー(礼拝を中心とした宗教生活の構造)の確かな指針を失った。

しかし、この詩篇こそが、旧約以来、神様が新約教会に備えたもうた賛美の正典であり、キリスト教会が新約教会以来イエス・キリストご自身の模範に従い公的礼拝で歌ってきた、神様の定められた礼拝賛美、また、リタジーの柱なのである。

 

II.公的礼拝で詩篇のみを賛美することについての消極的な根拠

 

1)礼拝の規定原理とその精神

礼拝の規定原理[30] は、十戒の第二戒に明白に啓示されたように、旧約聖書にある神様の選民に対する恵みの契約の啓示の根源的構造の一部をなしている。礼拝は、神の民にとってもっとも本質的であり、礼拝が神中心を本質とすることは、聖書において一貫している。礼拝は、喜びの時であるが、根本的に人を喜ばせるためにあるのではなく、神にお喜びいただくためになされるのである。恵みの契約への応答の中心をなす礼拝は、神への感謝と従順と献身によって、神様の喜びをこの身に賜り、神様との交わりのなかでのへりくだりと忠誠と賛美において、この身で神のご栄光を現わさせていただくためにある。この礼拝で神中心に恵みに応答する原則の要点を的確に言い表しているのが、十戒の第二戒である。この第二戒は、偶像を用いる礼拝の禁止であるが、その意味は、旧約聖書の律法の各書において、「礼拝において、神が命じられていないことは禁じられている」ことの様々な事実をもって例証されている。偶像を礼拝する心は、礼拝の自己利益化である。それに対して神様は、礼拝の神中心化を命じられる。神様の命じたもうこと以外は決して欲しない心である。この「礼拝において、神が命じられていないことは禁じられている」ことを、「礼拝を聖書で規定する」原理という意味で、礼拝の規定原理(Regulative Principle)という。[31]

 

2)礼拝の規定原理の消極的性格

礼拝の規定原理は、もっぱら礼拝から無用の物を排除するために、消極的に機能するように立てられている。[32] 従って、礼拝の規定的原理だけで礼拝の形態を確定しようとすると、時によって無理が生じる。 「みことばで命じられておらず、即ち禁止されていること」、つまり、「みことばの命令にない」ということは、聖書による認可を持っておらず、禁じられている、と否定的規定は、はっきりと確立できはする。 たとえば、新約時代の礼拝における、人間の創作による讃美歌の使用や楽器の使用は、聖書のどこにも明言として命じられておらず、解釈上確立された例示もなく、禁じられるべきである、と聖書中に一貫して流れている「規定原理」の原則で明言しうる。しかし、命じられていることが何であるかを明確にする積極的根拠の聖書研究が十分に確定されないまま放置されている場合、たとえば、その命令自体が旧約以来一貫する前提であり、啓示の段階としての新約時代はそれについてあえて明言する段階を過ぎている場合は、礼拝形態の細部特定についての明言命令(たとえば、「詩篇を歌え」という明言)を新約聖書の範囲でのみ探索し特定しようとすると、あたかも論拠が十分に聖書に明言されていないかのごとき印象を与えることがありうる。そのような命令の明言はあるのだが、すでに新約聖書の教会において前提のように当然とされ、一致して実践されていることについてなので、新しい啓示として強調されていないからだ。

新約聖書では、一般的原理として、礼拝の賛美が「聖霊による歌」でなければならないことは、明白に命じられており、釈義の通例からそれは霊感された詩篇を慣用的に指し示すということがまず言える。しかし、規定原理からの論証だけでは、注意深い釈義と共に、正典論的神学的論証を伴わないと、積極的に「新約聖書は礼拝における賛美は詩篇のみである」ということを厳密には論証しきらない印象を残す危険がある。

聖書にある礼拝の規定原理が、単独で公的礼拝賛美について積極的に明言するとすれば、それは、新約聖書にある「聖霊による礼拝の命令」から出、「聖霊に霊感された賛美」ということが中心になる。それは、具体的には「詩篇」のことなのだが、この原理からだけで「礼拝賛美は詩篇のみである」との積極的な論証が十分であるとは言い切れない。[33]

礼拝における詩篇賛美は、旧約聖書を含めた聖書全体の構造から、詩篇の賛美の正典としての制定を前提として、すなわち、正典論的論証を得てはじめて見通すことができる真理である。

 

3)礼拝の規定原理の積極的決定力と関連する適用例

しかし、聖書にある礼拝の規定原理は、人間の創作した歌が公的礼拝にふさわしくないことを明らかにする点で、決定的な務めを果たす。聖書が礼拝の賛美のために、少なくとも賛美歌など人間の創作による歌を命じていないことをはっきりさせ、それが神さまによって礼拝では禁じられていると考えるべき根拠を明確にする。

詩篇以外の聖書の箇所を公的礼拝で朗読することは、当然命じられている。それを詠唱したり、ある場合は共に歌ったりすることは、聖書にその例もあり、シナゴグにもその痕跡が残り、み言葉の朗読を効果有らしめるために許容される可能性があるが、詩篇以外の聖句が公的な礼拝(旧約では神殿礼拝)で賛美されることは、聖書においては想定されておらず、まして命じられてもいないので、これが公的礼拝における賛美となることは、神様の礼拝へのみこころに従順に沿っているとはいえない。

ここで、詩篇をアカペラで、すなわち、「楽器なしで讃美する」ことについて付言する。[34]このように消極的原理である礼拝の規定原理を応用して新約聖書時代の新しくされた礼拝を見るとき、新約聖書に命じられていない楽器が、排除すべきものとして目に入る。

聖書における楽器は、創世記421におけるその起源に立ち戻ると罪に落ちた人間の心を慰めるものであるが、良き事にも虚しい事にも用いられうる二つの側面を持つ。ダビデは竪琴を操りサウルの罪に荒れた心をなだめた。その同じ竪琴が犠牲をささげる礼拝でも用いられた。これとは別のこととして、楽器にはラッパのように時を知らせるというような実際的役割もある。

旧約聖書の神殿礼拝における楽器は、神殿の犠牲をささげる儀式と関係してのみ用いられていることが重要である。ささげ物のはじまると共に、楽器の演奏が始まり、ささげものの終わると共に楽器の演奏は終わっている。[35] 神殿でのべつまくなしに流れるバックグラウンドミュージックではなかったのである。楽器は明確に生贄の犠牲と関連していた。新約聖書において、神殿礼拝の廃絶と共に楽器も礼拝から消えたのは当然である。従って合図のラッパ以外は、新約聖書に楽器は見られない。黙示録においても、「...のような音」はあっても、明らかな言及ない。

旧約の神殿礼拝での楽器は、神殿礼拝のほかの要素同様、将来の霊的礼拝の象徴であったのであって、楽器は贖われるものたちの喜び、感謝、献身の賛美の声を表すものであったのだ。いまやわれわれは肉声を持って贖いに感謝し、主を賛美する時代が成就しているので、私たちは、この聖書のメシヤの時代の礼拝の例に倣って、楽器を使わない。竪琴を奏でる(プサロー)は、それぞれの人の心で、なのだ。[36]

 

4)初代教会以来の歴史における賛美歌創作と礼拝における使用について[37]

(1)新約聖書教会の礼拝において讃美歌が創作使用されていたという仮説がある。聖書の中のいわゆる賛美歌の断片の残存の理論など(クルマン)、時にはあたかも定説のように、様々な憶測や仮説が、新約聖書の時代また初代教会における賛美歌の起源を発見する意図で立てられている。しかし、いずれも聖書釈義的に確定しうるものではなく、せいぜい蓋然性の論議にとどまっているといわざるをえず、「新約の礼拝賛美は詩篇のみであった」と言う事実の根拠が提示されるときに、それに対抗したり否定できない。もとより歴史資料による客観的論証に耐える理論でない。

(2)賛美歌の明確な歴史的記録は異端による創作から始っている。初代教会において、詩篇以外の賛美がなされたとの公的な記録は、異端から始まることを認めるべきであり、正当な信仰の教会の中での賛美歌の公的記録は、その異端に対抗する歌から始まっている。グノーシス異端であった2世紀のヴァレンティノスやマルキオンが賛美歌を創作しこれを用いて運動を広めたことは記録されており、アリウスもアポリナリオスも賛美歌創作を主張を広める手段として使用した。アウグスティヌスもドナトゥスの異端がそのような目的で人間の創作した賛美歌を用いていると非難している。

では、詩篇以外の聖句讃美についての記録についてはどうか。 初代教会は、シナゴグの伝統にもあったことだが聖書の言葉を詠唱の形で朗読することはあったので、その意味で、詩篇以外の聖書の、特に詩歌である部分が、詠唱によって朗読されていた可能性は、否定できない。また、教会の教育的目的で、詠唱が取り入れられていた可能性を排除するものではない。しかし、残存している記録上は、礼拝の讃美としては明確に詩篇を用いるとの意識があったとの方向性がはっきりしている。

(3)3世紀にいたるまでの迫害下の教会から伝わっている文書には、教会の礼拝の賛美歌集とみなしうるものは、一つも存在していない。また、当時の文書の中に、そのような歌集の存在についての記述もない。フィリップ・シャフは、「アレキサンドリアのクレメンスの神のロゴスへの歌(しかし、これは賛美歌とはいえないようなもので、おそらく公的に歌われる試みがなされたとは思えないのだが)など、四つ五つ程度の創作詩ないし賛美歌とみなされうるもの以外、迫害の時代から完全な形で伝わっている宗教的歌曲は皆無である」と証言している。

3世紀になって、教会が社会の中で次第に落ち着いて活動できる場面も出てきて、教会史上初めて専用の礼拝堂が立てられたり、それまで禁じられていたキリスト絵画を用いての大衆への懐柔が企てられたりしはじめ、教会に迫害下ではなかった緩みと堕落が出始めた。この3世紀以降に、礼拝賛美においても、対異端弁証を念頭に置いた大衆教化の視点から、賛美歌がそこここに見られるようになり、教会会議がこれを聖書的礼拝の秩序の乱れとして、禁止するというようなことが繰り返されはじめた。381年のラオデキヤ公会議は、非霊感の私的詩の教会的使用を禁止した。451年のカルケドン公会議は、あらためてこの決定を確認している。561年のプラガ公会議は、創作詩歌は神をあがめる礼拝で用いられてはならない、と決定し、7世紀になってからも第四トレド公会議が、この決定を確認している。とくに、ギリシャ・小アジア・シリア・アレキサンドリアなどの東方教会(ギリシャ・カトリック教会)においては、少なくとも6世紀を過ぎるまで、詩篇以外には、リズミック・プローズと呼ばれるもの以外は存在せず、この努力が顕著で一貫していた。特にギリシャ教会では、ダビデの詩篇が排他的に用いられ続け、クリソストムが言っているように、「クリスチャンの集会のはじめも中間も終わりも、皆、詩篇」であった。[38]

しかし、中世になると、特に西方のローマ・カトリック教会のもとで、聖書が教会の聖職の手に占有されるようになり、聖書の讃美である詩篇讃美も、ラテン語による聖歌隊の聖歌歌唱のなかに閉じ込められて変質し、教会の権威の下に、信仰の言葉とはいえ、詩篇以外の言葉が混入するようになっていった。

(4)宗教改革は、特にジュネーブのカルバンを起点として、礼拝の讃美においても初代教会の会衆によるアカペラ詩篇讃美を復興したものであったが、ドイツにおけるルターの宗教改革では、若干様相が違っていた。ルター自身は、宗教改革の心を詩篇からも深く得た人で、詩篇を愛した。彼は「聖霊ご自身が望んでコンパクト聖書の編集の労を担われた」のが「最愛の本である詩篇だ」と言っている。彼の初めての出版物は、「七つの悔い改めの詩篇」のドイツ語訳であった。彼の創作した宗教改革のテーマソングとなった大衆歌「神はわがやぐら」は詩篇46篇で作られた。しかし、彼は礼拝を規定する原理に関しては、改革教会のような規定的原理には到達しておらず、教会国家関係および教会政治についてと同様に、聖書の規範性をゆるく取った。そのため、ドイツ宗教改革は、あたかも古代の教会体制に対して異を唱える時に大衆の歌を用いた異端運動をも時に髣髴とさせるような、歌う大衆による改革の形相も示し、賛美歌がドイツ宗教改革の影響の及ぶ諸教会の礼拝で定着し始め、のちの時代の賛美歌運動の母体ともなった。

そののち、この礼拝の規定原理違反は、ふたたび19世紀以降の英国と米国を中心とした、世界福音主義運動における近代賛美歌の時代の到来の折に、福音の大衆化世界化とともに、リタジーの混沌への大きな誘惑の潮流となり、現在に至る世界の教会の礼拝を覆っている。

 

5)近代における詩篇賛美喪失と礼拝の規定原理の消極的自覚の重要性

18世紀以来の近代における、信仰のディケイ(退廃)の風潮は、リタジーの領域にもさまざまな形で現れた。教会の硬直化は、教会のリタジーの中で、豊かな詩篇の賛美の喪失と共に進んだ。それが欧米における詩篇から賛美歌への変化を加速した。

特にアメリカでは、1640年のアメリカ最初の出版物が、「ベイ詩篇歌集」であったように、当初は詩篇讃美中心のリタジーの生活であったのだが、アイザック・ワッツ(16741748)の詩篇のパラフレーズの強い影響がきっかけとなり、次第に詩篇のパラフレーズの受容が始まった。1765年の長老教会ニューヨーク中会は、まだ霊感された詩篇を歌うことを決議しているが、それから、二百年たらずで、アメリカの教会から詩篇歌が殆ど失われるまでに、詩篇を中心としたリタジーは失われた。そして、その影響は、福音主義運動の広がりと共に、宣教地となるアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの諸国に拡散してしまった。その結果、世界各地の福音的教会の中で、詩篇讃美がむしろ異常であり、時には異端的であるようにさえ極端に誤解され否定される場合も出てきている。

このように礼拝から詩篇歌が失われ、神が与えたもうた霊性の霊的柱が見失われている現状においては、礼拝の規定原理を聖書から真剣に再評価し、人間の創作になる讃美歌には聖書からでる何の確かな正統性もないことを、まず教会ははっきり自覚しなければならない。礼拝の規定原理の消極面の自覚が、いま強く必要とされている。

 

III.霊性とリタジーにおけるアカペラ詩篇の重要性

 

1)リタジーにおける詩篇の位置の重要性

キルパトリックは、「教会の詩篇使用の歴史が書かれるなら、教会の霊的活動の歴史そのものの歴史になる。」と言っている。[39]  J・スタンフォード・リードは、「カルヴァンの流れに属する戦い手であった一般庶民を本当に捕らえたのは、もっと実際的なこと:教理問答訓練と詩篇の会衆賛美だったのだ。精密な神学理論よりも、教理問答と詩篇歌の双方が、最も卑しい庶民の生活を織り出す縦糸横糸となっていった。」とまとめている。[40]

カルバンのリタジーの根幹に、実際的には教理問答と詩篇歌があった。

カルバンが、ジュネーブでの仕事に復帰するに当たって、心血を注いだのは、まさにこの詩篇歌のための準備であった。これは彼がジュネーブへ戻る条件の一つとして挙げられている。つまり、そのころの宗教改革の中で、ドイツのルターの系統の運動から、詩篇を大切にしつつも、大衆運動を鼓舞するためもあって、創作賛美歌運動が入ってきていた。カルバンの滞在していたストラスブールでもそれが定着しつつあった。しかし、カルバンはそのなかで、ジュネーブ教会を詩篇のみを歌う教会として確立する決心のもとに、詩篇歌の準備を進めていたのである。彼は、1541年にジュネーブに戻るが、翌年ジュネーブ詩篇歌が出版される。この1542年版は、出版初年になんと25版を重ね、その後四年間で62版を数えることになる。ジュネーブから世界へ、宗教改革の教理と教会と礼拝が伝播するのに伴って、詩篇讃美の再興がヨーロッパの各地で定着していった。

その例は、壮絶なフランス・ユグノーの殉教の証しの多くが、詩篇に彩られていることでも分かる。彼らは日々家庭で礼拝で詩篇によるリタジーによって生活していたからこそ、殉教のときに多くが詩篇を告白して召されていったのだ。また、スコットランド長老教会、特に17世紀のカベナンターの戦いのパトスは、あらゆる面で詩篇に深くもとづいていた。1648年までのウエストミンスター会議は、宗教改革の集大成であったが、明確に詩篇讃美を信仰告白と礼拝指針で規定した。ピューリタンにせよカベナンターにせよウエストミンスター会議にせよ、ジュネーブの種をブリテン島で芽生えさせた英国諸教会のリタジー、当時の英国の国民の家庭生活にまで浸透していったリタジーが、詩篇をその実質とするものであった事実がはっきり読み取れるのである。

 

2)リタジーの広範な信仰教育的伝統

キリスト教会のリタジーの伝統は、ただ契約への応答である礼拝にとどまらず、教会の信仰教育全般の型の全体に及ぶ[41]のであって、カテキズムなど洗礼教育の過程も含んでおり、その中には、教会でなされることの基本とその意味を理解させるための説明であるホミリーも含んでいる。[42] また、プライベートとされる、個々人の人生と家庭における神礼拝を中心にした宗教生活の手引きも視野に入る。ピューリタンたちは、特に王の権威が一方的にしかもしばしばそれらの宗教生活の型を聖書を無視して強要する手段である「祈祷書」を、基本的に警戒し拒否してきた。[43] しかし、かれらの伝統にもとづく「礼拝指針」には、それら宗教生活の手引きのすべてが含まれていることにかわりはない。

詩篇を神様からのツールとして営む神の民のリタジカルな生活は、クリソストムの言うように、初代教会以来の、詩篇に始まり詩篇に終わる生活であって、日々の農作業も家事も詩篇賛美によって「神の民としての礼拝」に直結する生活であったのだ。そのような生活の日常的霊性の教育は、何より詩篇賛美であった。

詩篇は、人の作った賛美歌を歌うのと違い、「聴く」賛美だ。歌っているのだが、聴いている。ここに秘訣がある。独特の歌唱体験がある。詩篇を賛美歌と同じように考えて、自分から何かを歌おうとしている間は、詩篇賛美のよさが分からないし、慣れることができない。しかし、神様の言葉を聴いて、天使と共に歌う感覚、み言葉が心の内にあって歌ってくださり、心を熱く励まし導いてくださる感覚を一度体験すると、これがかけがえのない直接御霊にあずかる手段と分かる。心の底から礼拝的生活を生きるように、神様は私たちを詩篇のリタジーで導かれる。[44]

 

3)リタジーの儀礼への矮小化の問題

そのリタジーを、広い「神の民としての生活」から礼拝の儀礼的面に矮小化しようとする最近の傾向は、二つの点で歴史に反している。第一に、本来リタジーは儀礼だけではなかったのに、カトリック的反動によって儀礼的面が強調されるようになった。第二に、18世紀以来の信仰の退廃の時代が、礼拝を儀式化に追いやっている。儀式への矮小化はこの二つの点で、後ろ向きの姿勢だ。信仰の退廃との葛藤に明け暮れてきた近代教会の、ともすると陥りがちなこの世に対して受身となり内向化に逃避する面を如実に表している。近代の教会の欠陥は、理性か、倫理か、個人的敬虔をゲットーとして[45]、そこに逃げ込む以外にない敗北のメンタリティーにあるのである。その流れの中で、リタジーの領域が、儀式へと矮小化されることでもてはやされることは、教会が自らを儀礼的礼拝の中に追い詰めてしまう他なくなった、悲惨な姿を現している。近代のこの風潮は、17世紀の宗教戦争と殺戮時代(スコットランドのキリングタイムとイングランドのピューリタン迫害、またヨーロッパの三十年戦争など、宗教を口実に絶対王政が覇権を争って生んだ荒廃)への絶望、迫害のため豊かな福音を倫理性とともに語る聖書的訓練を受けた牧師が極端に減少したこと、スコラ的傾向の残る神学の教会にもたらした硬直化、などにはじまり、ヨーロッパ全域に精神的荒廃をもたらしたもので、この精神的退廃が理神論の興隆の母体となり、のちの近代の理性的合理主義によるリベラリズム、それにともなう宗教の倫理化、そしてその反動としての福音主義的敬虔主義を生むこととなり、近代の教会の思想の潮流全般の背景となった。これらは、キリストの「この世における王権」という、宗教改革が復興しようとした聖書的原理の後退に伴って現れている。それに副産物として、キリストの「教会における王権」という宗教改革が復興した原理(規定原理)による神の民の礼拝的宗教生活の規律(リタジー)の後退が伴ったのだ。

 

4)近現代の福音主義の流れにおける詩篇軽視が浮き彫りにする聖書的リタジーの軽視

リタジーは復興されねばならない。教会におけるキリストの王権が実際に復興するために。そして、そのリタジーの縦糸横糸の織りなす「神の民の宗教生活」の中心は安息日礼拝であることは間違いない。だから、礼拝からリタジーの改革が始まるということは当然考えられる。[46] しかし、その改革が掛け声だけで、単に儀礼的強調に終わってしまうと嘆息しか出ない。ましてそこに規範的原理が見えないとき、その改革が王なるキリストの教会支配のためであることも保障されなくなる。改革を真似るが、人の恣意的改変に堕する姿だ。

ウエストミンスター会議は、もちろん儀式主義と違う確固たるリタジー観を持っている。そのリタジーの秘密は、むしろ付属文書である「家庭礼拝指針」にある。そこでは「国家社会は家庭礼拝にかかっている」と真剣に語られる。日々詩篇が流れる家庭から、礼拝的社会・生活・民族が形成される幻である。そこで詩篇の占める位置は揺るぎのないものである。また、ウエストミンスター信仰告白は規定原理を骨格としている。[47] そのリタジー観は聖書から深く広くくみ出されるリタジーであり、信徒の日々の生活を潤し、礼拝において昇華される。その中心に、神が神礼拝の賛美のためお与え下さった詩篇がある。

元来、特にイングランドの独立派ピューリタンは、リタジーへの嫌悪を持っていた。それは、反動的リタジーが死をもって強制された時代を考えると、やむをえない面もあった。しかし、それが「リタジー」全体への否定となっていった。ウエストミンスター文書ではしっかり見つめられていた聖書的リタジーが、崩壊し、教理と礼拝と政治が聖書による規範的原理でコントロールされなくなり、退廃の時代に、理性や倫理性に対して敬虔をよすがとして誕生した福音主義の教会は、もはや主の治めたもう教会と言うより単なるムーブメントと化していった。そこで、詩篇ははじめのうちは礼拝の中に監禁され、日常生活の場から退場させられてリタジーの柱としての立場を失い、やがては礼拝の場からも抹殺されるようになった。[48]これは、近現代のリタジーの問題を象徴している。それは、単なる礼拝の儀礼的強調では解決しない。神の民の生活的営みが聖書的リタジーの下で全般的に回復されねばならない。そのため備えられた手段は、詩篇をおいてない。[49]

 

5)リタジーの復興は神の定めたもうた霊性の根幹となる詩篇なしにはありえない

リタジーの、広範で統合的なキリスト教的世界観人生観についての信仰教育である面が、復興させられねばならない。そして、その核心として、初代教会が旧約聖書の契約的構造の準備の上に立って確固として確立した、到来した王なるメシヤへの聖書的礼拝と賛美が、今の時代にもかわらない信仰生活の中心として生き生きと維持されなければならない。この意味で、詩篇賛美こそ、信仰者の「霊性」の、神ご自身が定めたもうた源であり、教会のリタジーの実践的中心として置かれている聖書正典であると、究極的に言うことが出来る。 宗教改革者たちが復興しようと着手して、18世紀以降、道半ばにして停滞したリタジーの改革は、「詩篇」という神の立てたもうた「霊性」の源となるための正典を中心にすえることなくしては、成し遂げられないのは、聖書における詩篇の位置に鑑みても、当然のことではないか。日々心と唇に流れる神の備えたもうた賛美の歌が、私たちの日々の生活を神への礼拝に結ぶのだ。[50]

 

「次のことが、後の時代のために書き記され、

新しく造られた民が、

主を賛美しますように。」     詩篇102:18

 

 

 

(改革長老岡本契約教会牧師・神戸神学館代表)



[] 宗教改革期の文書の「公的礼拝」という表現の「公的」という言葉については、近代的概念としての「私的」との対比のみでは理解できない。この「公的」と言う言葉に筆者は「リタジー」が由来している「レイトゥルギア」の語意から出る、「神の民の営み全体を包括的にあらわす礼拝概念」を見る。それはイングランド・ピューリタンやスコットランド・カベナンターが生み出した祈祷書ないし礼拝指針がいかに神の民の宗教生活全般を包括的に手引きしているかを見れば十分証明される。その意味で、恵みの契約への応答であり王なるキリストへの忠誠の公的表明の場である安息日礼拝を焦点とした「神の民の宗教生活の構造全体の視野から見る」ということが、「公的礼拝における」と言う表現の真意である。

[]  本論文の第一章および第二章の内容のうち、公的礼拝における詩篇賛美の論証の諸根拠については、正典論的論証の部分について北米改革長老教会大会礼拝研究委員会正典論的論証小委員会の作業過程で筆者独自に思索した部分もあるが、聖書釈義的神学的論証および教会史の論証等については、北米・アイルランド・オーストラリアの改革長老教会等、詩篇を賛美する教会の公的教会文書のほか、主に以下のような既存の研究に依存している。

1) Michael Bushell, The Songs of Zion, Crown and Covenant 1980, Pittsburgh.

2) The Study Committee on the Doctrine of Worship, The synod of the Reformed Presbyterian Church of North America, “The Worship of the Church, A Reformed Theology of Worship”, included in the Minutes of the Synod of the RPCNA 2003, RPCNA Church headquarters 2004, Pittsburgh p.90113.

3) The Study Committee on the Doctrine of Worship, The synod of the Reformed Presbyterian Church of North America, “The Psalms in the Worship of the Church”, included in the Docket and Digest of 2004 Synod of RPCNA, as well as in the Minutes of the Synod of the RPCNA 2004, RPCNA Church headquarters, due to spring 2005, Pittsburgh.

4) G. I. Williamson, The singing of Psalms in the Worship of God, The Covenanter Bookshop n.d., Belfast.

5) J. W. Keddie, Why Psalms Only?, The Scottish Reformation Fellowship, 1978 .

6) Bruce C. Stewart, Psalm Singing Revisited, RPCNA E.P.B., n.d.

7) John Murray and William Young, “The Scriptural Warrant Respecting Song in the Public Worship of God as stated in the minority report of the Committee on Song in the Public Worship of God, submitted to the 14th General Assembly Of the Orthodox Presbyterian Church” , Minutes of the 14th General Assembly, OPC 1947, p.5866. 8) L. F. Blackston, The Temple and Christian Worship, a thesis prepared for Reformed Theological College, 1974, Geelong, Australia.

9) ジーン・W・スピア『聖書的な礼拝』遠藤克則訳(改革長老教会日本中会、2000 神戸)

10Edward A. Robson, ed., John H. White, Norman Shepherd, E. Clark Copeland, John Murray, John Edgar, James C. Pennington, G. Duncan Lowe, S. Bruce Willson, G. I. Williamson, J. G. Vos, William Young, Frank D. Frazer etc., The Reformed Doctrine of Worship, A Symposium…, RPCNA 1974, Pittsburgh.

 

[] E.J.ヤング『旧約聖書緒論』(聖書図書刊行会、1969p.456。 

[] クリストフ・バルト『詩篇入門』畑祐喜訳(新教出版社、1967p.21

[] ibid., p.113f

[] F. F. Bruce, “The Poetry of the Old Testament” New Bible Commentary 所収, Inter-Varsity Press 1970, London, p.46.

[] Tremper Longman III, How to Read the Psalms, Inter-Varsity Press 1988, Downers Grove も、そのような傾向の代表として見られる。

[]  David M. Howard, Jr., ”Recent Trends in Psalms Study” David W. Baker ed., The Face of the Old Testament Studies, A Survey of Contemporary Approaches所収, Baker, 1999.

[]  E.J.ヤング, ibid. ,  p.453f.

[10] 改革長老教会詩篇委員会『詩篇抄集』カベナンター書店2000, 目次。

[11] J. Andrew M. Stewart, Family Tree 1 Chronicles simply explained  A House of Prayer The Message of 2 Chronicles, Evangelical Press 2002 etc., London. 

[12] アンドリュー・スチュワートの考えの要約。 E.J.ヤングの見解(ibid., p461)も参照。 

[13] 論文冒頭に列挙した参照文献一覧で言及した「RPCNA大会礼拝研究委員会報告」には、正典論的論証小委員会の提案に沿って上述のような論点が簡潔にまとめられているが、詳細は小委員会レポートに詳しい。

[14] RPCNA大会礼拝研究委員会に提出されたAnthony Cowleyの、シナゴグと初代教会での賛美についての長文の歴史的研究レポートに詳しい。

[15] W. D. マックスウェル『改革派教会の礼拝』勝田英嗣訳 一麦出版社 2002, p.75。詩篇が、ユダヤ教礼拝では、キリスト教でのように霊的賛美でなく、儀式動作に伴う儀式言語であった側面を指摘している。

 

[16] この三つの用語が詩篇を指すことについては、John Murray William Young Orthodox Presbyterian Church General Assembly に提出したマイノリティーレポートが有名である。その他、Ed Robson Two kai Configurationについての博士論文も、二つのカイ(and)を挟む三つの同義語は、新約聖書で例外なく一つの事をあらわしていることを、コンピューターを駆使してシンタックス的に論証していて重要である。

これに対し、この解釈への近年の反対論には、Gordon Fee, “ Teaching with Spirit-Inspired Singing” Paul, the Spirit and the People of God 所収, John Frame,  Worship in Spirit and Truth, Steve SchlisselPastor of Messiah’s congregation in Brooklyn, NY)の議論などがある。これらの反論は、Regulative Principle 自体を問題にしており、ネガティブな前提でこの問題を扱っている。

[17] 瀧浦 滋「改革長老教会の新詩篇歌集と詩篇歌唱の霊性」; 『礼拝音楽研究』1999.6.No.34.所収 教会音楽研究会、鎌ヶ谷

[18] Roy C. Fullerton, Psalmody, 高瀬薫訳, RPCNA witness committee, n.d.

[19] Geerhardus Vos, “Eschatology of the Psalter”, Princeton Theological Review 1920, reprinted in The Pauline Eschatology, p. 328.

[20] Richard Gamble,  “Psalter Eschatology”, unpublished report to the synodical worship study committee 2004.

[21] オスカー・クルマン『原始キリスト教と礼拝』(新教出版社、1958)。

[22] Kenneth S. Latourette, A History of Christianity, p.206.

[23] R. E. Prothero, The Psalms in Human Life, John Murray, 1904, London

[24] このような教会史的事実は、ブッシェルがよくまとめている。Ibid., p.121f.

[25] 『詩篇抄集』, 2000, 神戸 の内表紙の裏に、その引用がなされている「カルヴァン・ジュネーブ詩篇歌序文」の木岡訳が、抜粋されている。

[26] www.rpcna.org Doctrine of worshipファイル所収のRPCNA大会礼拝研究委員会2002レポートの要点は、礼拝のこの契約的意義にある。これについて、立場は違うが、Jeffrey J. Meyers, The Lord’s Service The Grace of Covenant Renewal Worship, Canon Press 2003, Moscow, ID.も強調する。

[27] ウエストミンスター会議などでの「公的礼拝」の「公的」という概念の規定の問題がある。公的と私的を対立させる近代的概念に捕らわれず、公的と私的をオーバーラップしうる概念、否むしろ、17世紀の当時は積極的に相互補完しあう概念であったと捕らえ、「公的」を「契約的」と広く読むのが取り敢えず間違いのないところではないだろうか。

[28] Regulative Principle:「神の命じておられないことは禁じられている」という規定原理。

[29] A. M. Renwick, TheStory of theChurch, Inter-Varsity Press1958, p.163

[30] Regulative Principleは、礼拝だけでなく、教会の、教理・政治(またはOrdinance)・礼拝の全体を統括する原理であり、いわば、リタジーのすべてを統括していると言える。リタジーの立つも倒れるも、この原理しだいなのだ。祈祷書ないし礼拝指針などの教会憲法や規定は、この規範的原理を前提にして存在している。16世紀後半のEngland Puritan Thomas Cartwrightは、教会の教理と政治と礼拝は聖書により規定されると明言した。

[31] John Murray William Youngも、Bushellも、この規定的原理を詩篇賛美が聖書的である理由の土台として示している。しかし、John Frame”Some Questions About The Regulative Principle”, Westminster Theological Journal vol.54 1992所収 p.357366)や、最近のNew York ベースのSteve Shilleselなどの批判は、この原理を消極的証明に過ぎず十分でないと批判する。(このJohn Frame論文への反論、T. David Gordon, ”Some Answers about Regulative principle”, Westminster Theological Journal vol.55 1993所収 p.321329があり、さらにそれへの応答がWTJ vol.56 1994にある。)  たしかにこの原理による詩篇賛美の正当性の証明は、消極的弁証の性格を持っている。

RPCNA礼拝研究委員会2002年第一レポートは、この原理の聖書的重要性を十分弁明している。(Minuteswww.reformedpresbyterian.org参照) その要点は、礼拝の契約的構造の論証に基づいた弁証である。筆者は、規定的原理の聖書的弁証は、契約論からだけ論証されるのではなく、教会を規定する権威の問題であるから、キリストの教会における王権、レグヌム・グラティアエの視点からもっと自然に論証されると考えている。 最近では、G. I. Williamson2001International Conference of Reformed ChurchesにおけるStudy Paper “The regulative Principle of Worship”が、イエス・キリストの権威(王権)からこの原理を弁証しており、わかりやすい。

[32] ウエストミンスター信仰告白21章の文脈を参照。

[33] Regulative Principleによる多くの議論は、この弱点を示す。Frank J. Smith and David C. Lachman ed., Worship in the Presence of God A collection of essays…, Greenville Seminary Press 1992, Greenville は、礼拝詩篇賛美についても様々な論文を載せているが、そのなかの論文 ”The Singing of Praise” Frank J. Smithは消極的に、「非霊感歌曲の歌唱が聖書から正当化できないので、詩篇を歌う」と主張する。彼の詩篇讃美を巡る議論の要約は有益だが、Regulative Principleを適切に位置させていない。

[34] John L.Girardeau, Instrumental Music in the Public Worship of the Church, Whittet & Shepperson 1888, Richmond Brian Schwertley, Musical Instruments in the Public Worship of God, Reformed Witness 1999, Southfield, www.reformed.com 

[35] 2歴代 292628

[36] エペソ 519b プサローの分詞

[37] これらの歴史的事実については、ブッシェルが詳しく、主にそれによった。

[38] Philip Schaff, History of the Christian Church, 1867, Hendrickson, reprinted in 1996, vol.3, p.579.

[39] A. F. Kirkpatrick, The Book of Psalms, Cambridge Bible 1906, vol.1,

p. xcviii.

[40] J. Stanford Reid, “The Battle Hymns of the Lord Calvinist Psalmody of the 16th Century”, C. S. Meyer ed., 16th Century Essays and Studies, Foundation for Reformation Research, n. d., St. Louis所収, p.37. 

[41] 「リタジー」を聖書の「レイトゥルギア」から説くと「参加者である神の民全員によって形作られる共同の業(礼拝)」という意味だと説明できる。(越川弘英『今、礼拝を考える』キリスト新聞社2004, p.88f.

この「レイトゥルギア」はヘレニズム時代にはあらゆる種類のコミュニティーの働きを意味した。(聖書神学者教師会『礼拝の聖書的な理解を求めて』いのちのことば社2003, p.159f.

リタジーとは、キリスト者共同体の礼拝的生活全体の導きと訓練の視野と言える。

[42] 福音主義神学会西部部会2004年度春の研究会議において、日本聖公会信岡章人司祭がリタジーについて発表され、エドワード6世以来の第二祈祷書(1552)を中心にしたリタジカルな生活を説明し、この点を示唆された。一見、近年のリタジー論争と無縁のようだが、神の民の宗教生活全体の公的指導を、広く礼拝から見、リタジーとする点で、重要である。

[43]  ジェームズ1世の治世に、イングランド・ピューリタンが、あまりに厳しい反動的リタジーとの戦いの末、ピルグリム・ファーザーズなどの運動を生んだ。その副産物として、教会政治における独立主義と、リタジーへの反感が生まれた。例えば、1593年にケンブリッジ出の独立派ピューリタンHenry Barroweは、「リタジー」を拒否したので処刑された。(A. M. Renwick, ibid., p.154

[44]瀧浦 滋 ibid.

[45] 極めつけは、新正統主義(バルトほか)が、キリストご自身をゲットーとする構造であろう。むしろ、キリストは今も世界の主であり王であられる。

[46] H. G. ヘイゲマン『礼拝を新たに』矢崎・高橋訳(日本基督教団出版局、1995)。

[47] 『ウエストミンスター信仰告白』(新教出版社、 19941-6, 7-6, 20-2, 21-1, 25-4, 31-3

[48] 逆にオランダ改革派教会では、詩篇賛美が家庭礼拝において強く残った

[49] W. D. マックスウェル, ibid., p.4。「礼拝は福音の土壌にしっかり根ざすべきもの」とあるようにマックスウェルには示唆がある。しかしリタジーへの「嫌悪」(p.87)を克服したいあまり、ウエストミンスター的な生活的リタジー観が薄い。また、規定原理による聖書的規制と自由観が弱く、抑制なく儀礼化している。

[50]改革長老教会の日本語詩篇歌については、日本中会詩篇委員会2000年発行の『詩篇抄集』があり、50年の作業の末、詩篇全節の約半分ほどが、ジュネーブの伝統とスコットランド・アイルランドの伝統の旋律および近現代に作られた旋律で歌える。韓国のアカペラ合唱団オンギジャンイのメンバーが日本語で録音したCDがある。日本キリスト改革派教会はジュネーブの旋律にこだわり、『ジュネーブ詩篇歌』150篇を完成させた。他に、木岡英三郎氏の努力によるジュネーブなどの詩篇歌を紹介する書物がある。(木岡英三郎『カルヴァン音楽論と詩篇歌の歴史』1959;『カルヴィン韻律詩篇歌集』1957, 基督教音楽出版)

韓国語では、北米改革長老教会の詩篇歌を全訳したものがあり、全曲がCDになっている。中国語では改革長老教会による第二次大戦前からの古い詩篇歌がある。

英語の詩篇歌としては、アメリカにはRPCNA, The Book of Psalms for Singing, Crown & Covenant 1973、イギリスではRP-Ireland, The Psalms in Metre, Oxford Univ. Press 1979がある。