「聖書的礼拝」序文

この書物は小さな本ではありますが、極めて重要な提言を、
日本のみならず極東の諸教会にたいして投げかけています。

具体的には本書は、礼拝における聖書的な賛美の方法について、
アカペラ詩篇こそが、神が教会にたいして定められた方法である事を、
簡潔に論証しています。

しかし、これは、礼拝についてのみならず、聖書について、教会について、
宣教について、信徒の聖書的な霊性についての、教会の考え方そのものを
宗教改革の改革主義に立ち戻って再考するように、うながすことになるの
です。

こんにち、福音主義キリスト教の広範な貢献ゆえに、教会の大半は福音主義の
歴史的弱点を建設的聖書的に批判する視座を、持ちえていません。賛美歌は
二百年足らずの福音主義の歴史的産物ですが、それが客観的かつ公平に批判され
得ないのは、福音主義を教会の一つの「進化」として無批判に前提視する
考えから、特に、近年主に米国福音主義の宣教地であった極東諸教会が、全く
脱出できていない事の象徴です。

「改革」とは、聖書の信仰と教会へ、特に、初代の教会を支配していた、主イエス・
キリストの主権的(使徒的)規範へと、教会が聖書に従って復古する事です。
単に時代時代の聖書の見方によって、教会を変革していく事ではありません。

詩篇の信仰こそが、主イエス・キリストのお教え下さった信仰そのものである
事は、新約聖書自体が豊かな詩篇引用で証明しています。教会史によって、
初代教会の教父たちの詩篇とのかかわりを学ぶと、それこそがまさに、
初代教会の信仰であり「霊性」だったことがわかります。

詩篇で賛美されている、神を恐れ、救いの恵みの「契約」に応答する人生と、
「王」なるメシヤ・キリストヘの信従の人生は、まさに、初代教会以来今日に
いたるまで、キリスト教会の歴史貫く、聖霊による実践的な「証し」の原理
そのものです。

詩篇こそ、神の主権に対する「謙遜」という改革派信仰の真髄を実践するための、
聖霊による手引きです。主ご自身が、「聖霊と真理のみことば」によるとされた、
新約的礼拝に最適な手段として、詩篇は聖書の中に神が備えたもうたものです。

日本のキリスト者も、詩篇による礼拝により、暗唱された詩篇が心に満ち、信仰
生活を支えるようになるとき、初代教会以来の証しの戦線に参加する備えができます。
詩篇は、こころに貯えられる宝です。いのちの力です。心の中で天使が、いや、
みことばそのものが導いてくださる賛美です。
「われらがこれを歌うときには、神がそのご栄光を高められるために、ご自分で
われらの口にことばを押し出し、われらのうちでおうたいになることが、感じ
られる。」(カルヴァン・ジェネバ詩篇歌1543年版序言より  木岡訳)

敬愛するG.W.スピア宣教師が、よき翻訳者を得て、わたしたちの確信を
公にする義務の、長年にわたる怠慢の汚名をぬぐってくださった事を、心から
感謝しています。この労作がはずみとなって、詩篇賛美についての莫大な
研究領域が、日本の教会の学徒に開かれていく事を心から願います。
古くはジョン・マレー、最近ではブライアン・シュワルツリーなどの著作や、
グリンービル神学校の論文集、インターネットでの検索等、糸口には事欠きません。
生涯を捧げて、謙遜に日本宣教に仕え、人々を愛し、主への忠実を証しされた
一宣教師の残されるこの書物を、主が、日本の教会への祝福としてくださいます
ように、心から祈る者です。

なお、アカペラ賛美の聖書的根拠と歴史的事実については、米国ワシントンDC
近郊で牧会しておられる、最近の北米改革長老教会大会議長、ボブ・マクラケン牧師
の一文は、短いながら手引きとなります。詳しく学びたい方は、古典ではありますが
南長老教会のジラドーの著作から始められるのがよいでしょう。

改革長老教会日本中会議長  
神戸神学館代表             
瀧  浦    滋