小泉総理や石原知事は、はっきり答えて欲しい。日本を靖国神社と伊勢神宮
を中心とし、国家への宗教的忠誠と天皇への崇敬を柱とするする国家とした
いのなら、慰霊の心を言い立て、靖国への公式参拝を演技し、民心を扇動す
るのはやめて、正々堂々と「日本を国家神道国家に戻す」と表明すべきです。
国民にも事柄の深刻さがわかるよう、卑怯な道を捨てはっきり言うべきです。
「天皇も靖国も宗教でない。日本人の心だ」ということは、どんな宗教の者
も、日本人である限り靖国の英霊に参拝し天皇を崇拝しなければ、よい日本
国民ではないということであり、これは、はっきり言えば、国家神道を国教
として国民に強制することです。日本人は皆が「人間が死んだら神になる」
と信じている訳ではありません。「創造主である真の神のみ拝み、主にのみ
仕える」自由、「天皇も英霊も人間にすぎないので宗教的に決して拝まない」
良心を持つ国民にとって、そんな日本は自由のない社会になってしまいます。
社会の骨格が先祖帰りし、体制が、信仰と良心の自由を喪失してしまいます。
しかしあなたたちは、それが日本のためと信じそれを望んでいるのでしょう。
「英霊ゆえに戦後の繁栄がある」と、大東亜戦争にいたる国体の論理を継続
する保守主義から強弁しつづけ、アジア蔑視と侵略戦争肯定を隠さないまま、
自らをあえて「新しい」日本社会の繁栄の礎と呼ぶのですね。そしてかつて
教育勅語と国民儀礼が国家神道体制形成の道であったように、今度も、日本
会議を始めとする政治的圧力を駆使し、学校教育の場からこの「新しい!」
社会観を浸透させ、「日の丸君が代」という新国民儀礼を、教師を職務命令
で恫喝して、幼い子供の心に刷り込み、日本社会を再び国家神道を思想基軸
とする社会に戻そうとするのですね。それは、亡国の道です。希望は自由の
抑圧者の貪欲で屈折したニヒリズムにはありません。良心の自由にあります。
日本が滅びないために、真実で一貫した良心の自由の体制の堅持が必要です。
自由の抑圧者が「自由民主」党を名乗るブラックユーモアは止めましょうよ。